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2006年06月18日

ルードヴィッヒ君とフィリッパちゃんの卒業式

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6月16日(金曜日)

ヴィンセント君の兄妹のルードヴィッヒ君とフィリッパちゃん2人が通っている小学校の卒業式に参列して感動しました。 11時30分から始まるエスロブ教会に全校生が集合。すでにヴィンセント君は中学校の式を終えて友人のジョン君と会場に来ていました。 成績表を私に見せてくれました。いい成績のようです。上の写真は6年生のル- 君のクラスの生徒が教会の前の広場で式の始まるのを待っているところ。 式はスウェーデンの国旗を先頭に1年から6年までの80人ぐらいが聖堂に入場します。

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スウェーデンでは7歳から6年間の小学校教育が始まります。 13歳から15歳までが中学校の3年間の教育。16歳から18歳までが高等学校の3年間の教育です。高校では一般課程に加えて電機機械、 料理レストラン、介護、児童教育などの専門課程を学びます。プレソン家では10歳のフィリッパちゃんが4年生、 12歳のルードヴィッヒ君が6年生です。最初、どうして2人の卒業式があるのか理解できませんでした。 卒業するのは6年生のルー君だけではないのか・・。しかし、スウェーデンでは毎年、それぞれの学年の卒業式があることがわかりました。 会場には300人ぐらいの家族が集まっています。両親だけではなく、幼い弟や、祖父母、親戚という具合です。生徒は聖堂の祭壇に並びます。 遅く入場したので私たちは立ち見。後ろには双子を乗せた乳母車が2組。小さいほうの双子の赤ちゃんは7週間目。卒業生の兄弟です。

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式次第は音楽で進められ、全員の合奏が繰り返される合間に、ヴァイオリン、ピアノ、 独唱が順番に入ります。歌のテンポも明るく速く、雰囲気がだんだん高まると会場からも手拍子が出てきました。 子どもたちの歌声は元気いっぱい。歌うのを聴いているうちに「僕たちはこの国に生まれてよかった」というように聞こえ、 うらやましい気持ちになりました。子どもを大切にしている国です。式は短く、校長の挨拶もカジュアル。サッカーのボールを足でけりながら、 「昨日、スウェーデンはサッカーに勝ちました・・、」というのが挨拶の出だしの言葉でした。

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式が終わると、教会の庭に出ます。フィリッパちゃんのクラスでは、 女の先生が記念写真を一人ひとりの生徒の名前を呼びながら、ハグをしながら渡しています。フィリッパちゃんのクラスには、 トルホガーデンのマネージャーのマリさんのお嬢さんもいました。ネックレスの少女がしそのお嬢さんです。 ユーゴースラビア出身のご主人と一緒にマリさんのご家族の写真です。

式が終わり、道を歩いていたら、他の小学校の卒業式のパレードに出会いました。 ブラスバンドの演奏で行進しています。エスロブ市は教育に特化している町で学校が多いのです。

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2006年06月18日 05:43 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

夏は卒業式とともに始まる

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6月15日(木曜日)

これはミススウェーデンが乗るオープンカーではありません。ベルガ高校の卒業式のパレードです。 今日は朝から町の様子が賑やか、いつもと格段に違う人通りです。どこからか、祭囃子ならぬブラスバンドの演奏が聞こえます。子どもの時、 私の住む東京の小さな町でもお祭りの山車や神輿が練り歩く時は、その後をぞろぞろとついて歩く人を見かけましたが、今日はそんな感じ。

夕方、寮の部屋でパソコンに向かい仕事をしていたら、突然、 窓の外から賑やかな歓声が聞こえてきました。いつもは人通りの少ない道でリオのカーニバルが始まったみたいな感じです。 エスロブ特派員としては、スワッとカメラを片手に道に飛び出しました。

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こんな立派なオープンカー、普段は質素なこの町では見かけたことがありません。どうやら 「クラシックカーのコレクションをしているお金持ち」が毎年貸してくれるのだとわかりました。運転をしているのは卒業生のお父さん。 お母さんの運転はあまり見かけませんでした。兄弟や友人まで一緒に乗り込んでいる車もあります。しかし、騒いでいるのは卒業生当人だけ。 オープンカーから身を乗り出して踊り、歓声をあげ、笛を吹き、ありったけの大声で歌います。トラックに乗り、 バンドの演奏をしているグループ、農業の耕作機を運転するグループ、男女学生の2人乗りの自転車も出てきました。 風船や国旗や笹の葉を車に飾り、みんな手には大きなプラカードをもっています。どうやら子ども時代の写真を拡大して張っているようです。 「こんなに大人になったよ」と道で眺める人にアピールしています。みんなが被る船員帽は卒業記念の帽子。高齢者の家に行くと、 よく孫の写真が飾ってありますが、この帽子を被った写真を沢山見かけました。

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研修生の池田めぐみさんがホームスティしているオケソン家のお嫁さんと孫のヴィクトール君にばったり会いました。 一家で行進を見物にきていたのです。小学生のヴィクトール君もいつかこの行進をするでしょう。 エスロブ市には各世代が生きている実に健康な町だと思いました。狭い町なので、どこかで必ず知り合いに出会います。 この行進が終わると学生たちは家に帰り、家族とお祝いの夕食をともにします。それから、また、学生たちは集まり、 夜中までドンチャン騒ぎをするのだそうです。 

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2006年06月18日 04:35 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

人口975人の町の喫茶店

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6月14日(水曜日)

ロベロという町の「高齢者特別の家」を見学した後、近くの喫茶店に入りました。 エスロブ自治体の北の村、ビリンゲが鄙びていていかにも田舎というのに比べ、 同じ自治体でも南東のロベロはどこかエレガントな風情です。この喫茶店は1874年に始まった老舗。開店当時、 喫茶室は男性用と女性用とに分かれていたそうです。現在のインテリアは1950年代のもの。浅草に残るレトロな喫茶店にも似ています。 お店で売っているパンとケーキが美味しそうなので、さっそくパンを買い、学生寮で冷凍にすることにしました。写真はオーナーの女性、 彼女の義理のお父さんを39年前から手伝っています。小さな村や町が発展する過程で、そこにどんな文化的背景を持った人が住みついたかで、 町の風情が違ってくるのでしょう。この洒落た雰囲気はどうやって生まれたのでしょう。

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驚いたことに、こんな小さな町にもタイ料理の店を発見(下の写真)。 スウェーデンでは中華料理よりタイ料理が好まれます。今から37年前の友人の話を思い出します。 清泉女子大学英文別科の級友で仲良しの横山桂子さん(旧姓下村)さんは当時JALの国際線のスチュワーデスでした。 彼女が私にお土産に買ってきてくれたのがタイ製の木のサラダボール。その時の彼女はこんなことを言いました。 「タイの人々はスウェーデンから木工を習い、お土産品にして売っているのよ」。スウェーデンは当時からタイとの交流があったのでしょう。 貧しかったタイの人々に職業訓練をしていたのでしょう。そのサラダボールは今も重宝して使っています。スウェーデンでは今も木工が盛んです。 両国の絆は強いのです。津波の時も沢山のスウェーデン人がタイにいました。スウェーデン人ほどタイにあこがれる国民はいません。

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2006年06月18日 00:30 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

やっと見つかった町医者

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 6月14日(水曜日) ロベロ続き

人口945人のロベロの町の医療を支えているのは、プライベートドクター。つまり町医者です。 写真の建物がエリケという高齢者特別ハウスの隣にある、薬局(アポテークと言います)が併設されたクリニック。やっと、 町医者の居所を見つけました。といっても、ご本人にはまだ会えません。建物を見ただけ。インタビューに何とかこぎつけたいものです。 とにかく、エーデル改革以降、スウェーデンでは介護の現場から医療が切り離されました。 これを簡単に日本に取り入れられては現場が混乱します。

私の母は田園調布博愛医院の柳沢徹先生に在宅の往診をしてもらい、パリアティブケア(終末期)を受け、 在宅で亡くなりました。それを支えたのが田園調布医師会訪問看護尾ステーションのチーフ、 宮近さんや只野さんをはじめとする看護師さんたちです。地域の医療に支えてもらいました。 母の介護を11年間してくれた大田区福祉公社の協力会員だったSさんが認知症になり、そのSさんを現在支えてくれるのが、 コダマクリニックの木之下徹先生。木之下先生を紹介してくださったのが、藤田和丸先生。 和丸先生は柳沢先生と一緒に世田谷大田の両区にまたがる在宅を支える介護医療関係者の「在宅ケアを語る会」を主宰して、 情報交換や勉強会を続けています。この数年、訪問診療をしてくださるお医者さんが増え、ずいぶんと便利になりました。ところが、 今度の医療改革ではこうした行動的な町医者のやる気に水を差すようなもの。

スウェーデンを調べていると、厚生労働省がスウェーデンをモデルにしていることが良くわかります。 似ている言葉やアイデアが沢山あります。しかし、スウェーデンが目指すのは、人間としてこの世に生まれたことを尊ぶこと。 ワールドカップではないけれど、「世界でいちばん人間的な生活ができる国」である名誉をかけて社会保障の充実を目指しています。しかし、 同時に1992年以降に拡大した経済不況を克服した合理化の努力もすごい。 人間の尊厳と合理化の2つをなんとも上手くマネジメントしています。

 町医者の話から思わず方向に話が発展しましたが、日本の医療改革を考える時、 スウェーデンの合理化だけを真似して取り入れられては困ると思います。このままだと、現場で働く人々が困惑し疲れきってしまいます。 高齢者を支える人々の労働環境が充実しないで、どうしていい介護を提供できるでしょう。 社会保障審議会の25人の委員の14人が大学先生たち。奥田経団連会長と、労働組合の代表が1人。県と町村の代表が1人ずつ。 医師の代表が3人。ジャーナリスト、エッセイストが1人ずつ。この方々の中で、一般の国民の利益、 介護現場で働く人々の利益を代表するのは誰なのでしょう。もともと社会保障審議会は労働者と経営者と政府の3者によって構成されるはず。 日本では労働組合の力は弱体化しました。介護労働者の意見が法律に反映する必要があると思います。

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2006年06月18日 00:17 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年06月17日

人口975人の町の高齢者特別ハウス

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6月14日(水曜日)

エスロブ市内から車で30分ぐらい南東に走ると、ロベロというエスロブ自治体の町があります。 人口が975人のこぎれいな町です。今日は前から行きたいと思っていた、この愛らしい町にふさわしいエリケという名の「高齢者特別の家」 に行きました。研修生の池田めぐみさんの研修に便乗。麻衣子さんも参加です。写真をたくさん撮ったので、 帰国してからお見せしたいと思います。入り口の鉄の扉は認知症の方にはちょっと難しいカギがついていますが、威圧感がありません。

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この特別の家は1968年にでき、93年に改築されました。入居している高齢者は37人。 他にグループホームと訪問介護ステーションが併設されています。上の写真は入ってすぐにあるレストラン。地元の方も楽しめます。 可愛く温かく清潔、ホスピタリティに満ちた空気がありました。下はちょっとしたコーナーにある暖炉。冬には火が入ります。 水と緑と火は人のいのちを癒す大切な要素。

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クリスティーナさんの説明で建物の中を見学していたら、アランさんという90歳の入居者に会いました。 入居する前から乗っている自家用車。足が不自由になってからでも、外出が自由です。

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右折左折が矢印の表示を押すだけででき、カギがかけられます。車を降りてから部屋に入るアランさん。 ちょっと危なそうですが、ポストに手をかけ伝い歩いて部屋の中にある椅子に移動しています。この椅子は座るだけではなく、 歩行器にもなっています。こうしたアランさんの自立は作業療法士の指導によるものです。

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ところで、このエリケという高齢者特別の家のマネージャーはアイリン・ソメルスさん。写真の方です。 ほとんど会話は交わせませんでしたが、笑顔が素晴らしいというのが第一印象。肝っ玉母さんという感じの方でした。

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2006年06月17日 07:49 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

バスで日帰りの旅

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6月13日(火曜日)

今日はセカンドハンドショップでボランティアをしている人たちの慰安旅行。できる限り、 書くための時間を捻出したいところですが、クリスティーナさんが「歴史に興味があるあなたには最適な旅」というので参加しました。 スコーネを横断して、バルト海側に出る小旅行です。今日はクリスティーナさんは仕事で参加できず、その分、 夫のヴァントさんが頑張って気配りをしています。いろいろな説明があったけれど、残念ながら、あまり、判りません。しかし、 こちらの高齢者はこうしたスコーネの歴史探訪の旅をよくするようです。写真は日本のような松原風景。向こうに海が見えます。 バルティック艦隊で有名なバルト海、向こうにはバルト3国やフィンランドがあり、その向こうにロシアがあります。

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下は山の中の農家、かやぶき屋根でどこか日本の農家に似ています。家の中にはかまどがあり、 この火で料理を作り、パンを焼き、部屋を温めていました。昨日あまり寝ていないので、このあたりからかなり眠くなりました。言葉がわかれば、 きっと、面白いのだろうけれど・・。下の写真は、バスがセカンドハンドショップに到着して、三々五々、帰るシーン。 写真のサングラスのブリッタ・スベンソンさんは今年80歳。1人暮らしです。若いなあ。

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2006年06月17日 06:55 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

日本サッカーの夜

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6月12日(月曜日)

観ることができないとあきらめていたサッカーをテレビで観戦しました。 川口の完璧なゴールキーパーの姿に心が高揚しました。スウェーデン語で「カワグチ」と何度も解説されているのを聞きました。 防戦している度に誇らしく思いました。 オーストラリアチームのレスリングのようなサッカーに日本の痩身のサムライががんばっているのが嬉しく、大きな拍手を1人でしました。 最後が残念だったけれど、サッカーもここまできたかと思いました。数年前を思い出して。

国際試合はいい勉強になります。私もエスロブ市で国際試合・・とまではいかなくても、少し、 がんばっている、と自分に言い聞かせています。疲れると英語がしどろもどろになる。インタビューのテープを聴きなおしていると、 勘違いもあるし、同じことを何度も聞くし、情けないけれど。

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サッカーのこの夜、学生寮の庭では大音響が聞こえます。6月は卒業シーズン。 明日から三々五々ここを去る学生たちは最後の夜を分かち合っていました。今日は寝られないだろうと覚悟して、 遅くまでパソコンに向かいました。時々、ドアーをあけて外を眺めると、「一緒にワイン飲まない」と誘われます。どうも、 この仲間には最後までは入れなかったです。でも、言葉を交わす子がいたので、いつかとても懐かしいと思うでしょう。それにしても、 去年の8月末は彼らがここにやってきて、毎晩、ドンチャカ騒ぎでした。それが、冬は静かで、この夏も静か。たぶん、 みんなで仲良しになる過程だったのでしょう。とうとう、この日は私も眠れずに気が付くと午前4時。外はすでに明るくなっていました。

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2006年06月17日 06:26 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

突然の夏 

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6月12日(月曜日)

昨日あたりから、気温が高くなってきたと思ったら、今日の町は夏の景色に彩られています。 生き物のように町は日々姿を変えています。5月15日にこの町に着いた時にはお天気予報は摂氏10度でした。それが、昨日、 今日は30度ぐらい。北国の春は突然来て、あっという間に夏になるといいますが、まさにその通り。 スベンソンという唯一のシティホテルのある広場のアイスクリーム屋には列ができています。この数日、部屋にこもっていたので、 太陽が目にまぶしいぐらいです。

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写真は学生寮の近くの家の石楠花の花。エスロブにはずいぶんこの花を見かけます。日本にはない色です。 学生寮の学生たちも明日の火曜日にはここを去っていきます。明日から夏休みの始まりです。荷造りをしながらくつろいでいる顔見知りたち。

東京にいた時、スウェーデンに6月に行くと話すと何人かの方から「ミットサマーですね。 楽しんでいらっしゃい」と言われました。高校の英語の本にアンデルセンの「醜いアヒルの子」が載っていて(もちろん英語で)、 その書き出しは「それはミットサマーのことだった・・」でした。英語の辞書を引くと、ミッドサマーは夏至とあり、6月21、 22日頃とありました。今年は24日が夏至で、23日はイブだそうです。日本では梅雨の時期で日照が少なく、肌寒いこともある季節ですが、 それこそ、急に真夏がやってきたのです。

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数日前から、学生たちが部屋の掃除をはじめ、荷造りが始まっていました。あまり、 交流は無かったけれど、ちょっと、淋しくなります。台所の使い方がひどくて、学校では、こうしたマナーを教えなかったのかとあきれました。 パスタがこびりついたなべが何日も放ってあったり、冷蔵庫の牛乳が飲まれていたり、あきれることも多かったけれど、 なんだか憎めない子たちでした。去年の8月23日頃、近隣の県からこの国民高等学校に集まってきました。20歳を過ぎて、また、 学びなおしている若者たちです。しかし、ほとんどの子に聞くと、就職先は決まっていません。 スウェーデンでは98年に見事不況は克服したものの、合理化が進み、失業率は4%というものの、定職につけない若者が多いのです。 仕事に就くには、学び続け、資格や学習をすることが必要で、若者には厳しい現実が待っています。

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2006年06月17日 06:25 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

庭で食事

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5月9日(金曜日)

バリアという線路の向こう側にある地区のスーパーで買い物をするクリスティーナさんと麻衣子さん。 今日の私は、朝8時の訪問介護のインタビューを済ませて、自室で仕事をしてから、1時にクリスティーナさんが車に乗り込みました。 なかなかクリスティーさんの家に伺う時間が取れませんでした。彼女の夫のヴァントさんが手塩にかけた初夏の庭を見るのが楽しみです。 2月3月の滞在では一面の雪だった庭がいい香りのする夏の庭に変わっていました。今日のメニューは「ヤンソンさんの誘惑」 というスウェーデンの料理。ジャガイモとアンチョビのグラタンとサラダ。 ちなみに19世紀から20世紀にかけてのスウェーデンの凶作を救ったのはジャガイモとも言われています。

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ヴァントさんとクリスティーナさんが結婚してから、耕し始めた農家の荒れ果てた一ヘクタール耕地が、 7年かけて現在の姿に変わりました。「秘密の花園」という英国の児童文学の庭のように(もう少し野趣があります)、人を癒してくれる庭です。 ヴァントさんの今年の庭の目標はバラの棚。この写真では柱しか見えませんが、ヴァントさんはバラの棚を大工仕事で作りました。 一重の素朴なバラの苗が少し伸びているところが上の写真です。下は2人の手作りの東屋の前にいるめぐみさんん、麻衣子さんと私。

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あずまやの中で夕食が始まりました。シンプルだけれど豊かなメニュー。 外は5時過ぎなのに真昼間の明るさ。食事が終わるとヴァントさんがお皿を片付けてくれました。こちらはサラ洗い機がある家が多いようですが、 クリスティーナさんの家は手洗いです。私たちがクリスティーナさんと打ち合わせをしていると、 お皿を片付けたヴァントさんが早速庭仕事を再開しました。夕方の庭仕事は気持ちがよさそうです。前にヴァントさんに 「荒れた土地をここまできれいにして、よく働いたのですね」と話したら、「スモーランド人はよく働くんだよ」という答えが返ってきました。 実際、バルト海に面したスモーランドは岩盤が下にあるので、土地が肥えているスコーネより、農業の条件が悪いそうです。その分、 スモーランドの人は良く働くと言われています。たしか、ニルスの不思議な旅でも地理的な説明があったと思います。 19世紀から20世紀にかけての150万人のアメリカ移民の大部分がスモーランドの人々だったそうです。 スモーランドは森の木を使いガラス製品を沢山作ってきました。私は銀座和光で長年働いていましたが、 入社してしばらくたった昭和44年ごろから、お店では北欧のテーブルウエアを大々的に取り扱いはじめました。 オレフォースやコスタボダはヴァントさんの故郷スモーランドの製品です。

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帰りはワインを飲んだためにいつものように車で送ってくれるのではなく、 クリスティーナさんが歩こうというので、クリスティーナさん夫妻とめぐみさん、麻衣子さんと5人で1時間ぐらいの道を市内まで歩きました。 夕日が目の前に輝いていました。ヴァントさんが「あのくらい下に下りている夕日の位置だとかなり北によっているよ」と教えてくれました。 つまり、夏至が近いこの季節、太陽は西に沈まないということを知りました。天体に興味のある小学生の男の子が喜びそうな話です。

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2006年06月17日 03:55 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

訪問介護の責任者 カメラ・プレソンさん

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5月9日(金曜日)

朝8時、訪問介護の南地区の責任者カメラ・プレソンさんの事務所に行きました。 北地区の担当のポールさんは「静」という存在なら、カメラさんは「動」、はちきれそうに元気な38歳の女性です。 彼女はもともと日本でいうケア・マネージャーの仕事をしてきて、社会学を大学で修めきた人です。法律の勉強もその後して、ヤートさんと同じ、 クリファンスタという町の看護学校でマネージャーになる勉強もしてきました。3人のお嬢さんのお母さんでもあります。 インタビューではかならず、キャリアを聞くことにしています。

この町の訪問介護ステーションは5つ。こんな単純なことですが、5ヶ月滞在してやっと解明しました。 麻衣子さんとは謎解きだと良く話します。東京の大田区のホームページではこんなことはすぐにわかるのですが、 この町の高齢者福祉をトータルに紹介する英語の書類がないためにわかりませんでした。私の集めた情報では6つでしたが、 一つ減ったこともこのインタビューで解明しました。カメラさんは実に親切で彼女が書く報告書のコピーまでくれました。 この報告書にはまた驚き。実にシンプル。一目でわかるとはこの書式をいうのでしょうか。

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カメラさんは食事の配達サービスとホームヘルプサービスの責任者でもあります。 写真はカギを自分で開けられない高齢者のための冷凍調理のパッケージ。アンダーナース(准看護師・介護士)が訪問時に直接届けます。 カギをあけられる人にはランスコーネという町の業者から直接届けられます。ホームヘルプサービスの方は掃除と洗濯。 このように介護者の仕事がケアと医療的な手当てに向けられました。掃除、洗濯はその担当のアンダーナースがしています。何から何まで詳しく、 シンプルにわかりやすく説明してくださり、沢山の疑問が解明しましたインタビューでした。

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帰る時に、カメラさんのポストに一枚の紙が入っていました。隣の部屋のイボンヌさんというケア・ マネージャーさんからの新しい利用者の方の書類です。ケアを提供するカメラさんと、 サービスの内容を指示するイボンヌさんの仕事は棲み分けされています。日本の介護保険はスウェーデンをモデルにしているのです。 それにしても、日本のケアマネージャーの苦労は大変です。さっそく、隣の部屋のイボンヌさんにインタビューを申し込みました。

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2006年06月17日 02:09 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

エスロブの看護師の責任者モッラーさん

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5月8日(木曜日)

小林亜子さんと1時間半のお昼を済ませた後、通訳のシーマさんと待ち合わせて向かったのが、ヤート・ モッラーさんの事務所。ヤートさんはエスロブ市にいる35人の看護師の元締め、マネージャーです。 2003年1月からエスロブ市の高齢者福祉の運営システムが変わり、各部署で抱えていた看護師が、一つの組織に集合。 ヤートさんの元から訪問看護、施設の看護に派遣されていきます。高齢者の特別の家(施設)には看護師が常勤していないのです。 それはアンダーナースという医療の勉強をした介護士が介護を担っているからです。 看護師ステーションとヤートさんの事務所は別の建物にあります。ヤートさんの事務所の隣は訪問介護の責任者のカメラ・プレソンさんやポール・ シュワコビッチさんと隣り合わせています。

看護師の活動に関しては、数字的なこと意外はこのインタビューからはあまりつかめませんでした。一度、 医師に近い活動をしている地区ナースに会いに行こうと考えています。ヤートさんはスウェーデンを代表するハードルの選手でした。 今も走っているし、スウェーデンの公認コーチとして400mと800mの女性アスリートを育成しています。 看護師との2足の草鞋を履きながら、福祉のマネージャーになる勉強も重ねてきたのです。通釈のシーマさんが、 クリファンスタというスコーネの町に看護学校があり、そこで、福祉責任者の養成もしていると聞きました。

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2006年06月17日 01:35 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

大田区北嶺町生まれの小林亜子さん

6月8日(木曜日)

小林亜子さんからメールが届いたのは今年2月ごろ。彼女はルンドの国民高等学校(ピープルズ・ ハイスクール)で1月からスウェーデン語を学んでいる26歳の女性で歯科衛生士です。 小さな頃からの外国語を学ぶという夢をスウェーデンで実現し始めました。インターネットで6月に卒業した後の学校を探しているうちに、 亜子さんは私のブログに行き当たり、メールを送ってくれました。今年の8月からはエスロブ市の国民高等学校でさらに勉強を続けます。 麻衣子さんと一緒です。私が寮だけ借りている学校です。

なかなか、会えませんでしたが、帰国する前日に亜子さんはルンドからエスロブまで来てくれました。 驚いたのは、彼女はつい最近まで大田区北嶺町、私の家から5分の所に住んでいました。駅のそばの鶏専門店の脇の小道を入った所です。 私が時々行く「嶺の灸鍼堂」の黒田マリさんのことも知っていました。

年頃の亜子さんは、友人が結婚し、子どもができていく中で、 みんなとは違う道を歩み始めたことをちょっと心配していました。そんな亜子さんに私は「人生は一度しかないのだし、 若いというのはまだやり直せるの。まだまだ若い。亜子さんらしい人生を掴み取ってみたら」とアドバイスしました。そんな私も 「59歳という年をも省みずスウェーデンに取り組んでいることを思うと、時々、馬鹿ではないか、なにしているの・・と自問します。」 と書いたことに関して、73歳の竹内啓介さんから、素晴らしいお叱りの言葉を受けました。

竹内さんは59歳でそんなことを言ってはだめとおっしゃいます。竹内さんいわく「私は、 60歳から一段格上の社会貢献をしていただかなければならないと考えているものです。60代は、 それまでの豊富な経験と的確な判断で社会をよりよい方向にリードしていただかなければならない年代なのです。私は71歳ですが、 パラオの自動車リサイクルに関するコンサルタントを買ってでています。いろいろ企画を進めています。 今日も大阪の廃棄物学会で講演して帰ってきたところです。73歳までは、がんばるぞと自らに叱咤激励しているところです。 59歳のあなたには、大いに頑張っていただきます。期待しています」

竹内さん、ありがとうございます。そして、亜子さん頑張れ!  

2006年06月17日 01:07 |  投稿者: rumi

2006年06月15日

還暦まであと1年です

6月7日(水曜日)

今日は私の59歳の誕生日。朝8時に携帯が鳴りました。 受話器の向こうで夫が歌うお誕生日の歌が聞こえてきました。私の兄姉は早世したので、こんなに長生きをしたのは私だけ。 長い独身生活を送った私ですが、受話器の向こうの声をありがたいと感じ、早く亡くなった4人の分を生きているのだと思いました。 外は気持ちのいいお天気でした。

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お昼にドアーがノックされたので開けると、麻衣ちゃんがワインと誕生カードを持ってきてくれました。 3時からスタファンさんのインタビューを2時間ほどして、その足でプレソン家、ヴィンセント君の家に行きました。 「僕の家族が誕生祝をするから、いらっしてください」というお誘いを受けたのです。彼のおばあちゃんのウラさんも来てくれ、 お天気がいいので、庭にテーブルが用意されました。
夕方の6時だというのに、真昼間のように外は明るいのです。お料理はパスタサラダとギリシャチーズを焼いたもの。皆さんがテーブルを囲み、 一人座る私にスウェーデンのお誕生日の歌を歌ってくれました。とても、シンプルだけど、じわじわと心が温まる場面でした。

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2006年06月15日 16:06 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年06月10日

田舎道を歩け歩け

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6月6日(火曜日)

今日はスウェーデンの建国記念日。 エスロブ市の国民健康プログラムを推進するオフィサーであるクリスティーナ・ウォーミングさんの声かけで、 自治体の北にあるビリンゲという人口484人の村に17人の人が集まり、1時間ほどウォーキングコースを歩くというイベントがありました。 ビリンゲは昨年秋と今年の2月に在宅介護の取材に来ています。スコーネ地方の田園風景が残る村です。最初の写真は1739年にたった農家。 どこか日本の東北地方の長屋に似たかやぶき屋根のつくりです。

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写真は日本からの研修生の池田めぐみさんがホームステイをしているイングリッド・オケソンさん。 足の手術をしたというのに元気に歩いています。歩行器を使う高齢者の方も最後まで歩きました。最後に軽くお昼を食べて、解散。この数日、 パソコンの前に座っていたので、気持ちがよく過ごせました。今日は短い文章で。

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2006年06月10日 06:04 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

麻衣ちゃんは同志

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6月2日(金曜日)

「るみさん   わーい!わーい! SFIの試験に全部合格して卒業しました!!わーい! 今朝、 一番に会話のテストも受けて今日でテスト終了・・」と書いた星名麻衣子さんからのメールが、パソコンを開いたとたん目に飛び込んできました。 私の方も今週の5つ目のインタビューが終わりほっとした所。25人中10人しか受からなかったそうですが、 彼女のこの1年間の苦労を知っているだけにこちたも「わーい わーい」と嬉しくなりました。昨年の6月の中旬からエスロブ市に、 高齢者介護の研修生としてたった一人で滞在、始めの数ヶ月は孤独、さらに語学や文化などの壁にぶつかりながら頑張って、 途中からスウェーデン語を学び始めきました。SFIは移民の人々などに、無料でスウェーデン語を教える学校。 彼女はずいぶん話せるようになりました。

国民学校と呼ばれる成人のための学校の入学も許可され、8月中旬からは、 スウェーデン語をさらに1年間学ぶ予定です。こちらに滞在して、アンダーナースの勉強をするには、語学が必要と思い、 留学を延長して学ぶ決断をしました。

そんな麻衣ちゃんとは苦労を分け合った仲。母と娘ぐらいの年の差がありますが、 私は同志のように思えてなりません。麻衣ちゃん、おめでとう。

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2006年06月10日 05:16 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年06月09日

福祉部門のマンパワー

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6月1日(木曜日)午後

市庁舎のオフィスの一隅にマンパワーの部署があります。マンパワーとは、 エスロブ市の福祉部門で働く職員(管理職をのぞく)が休みを取る時、その代替で働く人材を送る部署です。休みとは
病欠が主ですが、友達と会ったり、キャリアアップの勉強に使ったり、長期の夏休みなど。従業員にとって遠慮なく休暇が取れるともに、 スタッフの休みのために余分な人員を抱えなくてもすみます。2002年にプロジェクトチームができて企画されました。それまでは、 それぞれの部署で休みの応援要員を抱え込んでいました。

ここには常勤のスタッフと契約のスタッフがいます。常勤スタッフは30人。オーダーがあれば、 高齢者の特別住宅(施設)であれ、在宅介護、障害者の支援であれ多方面の仕事をこなせるエキスパートを揃えました。 スウェーデンではスタッフのサラリーの差が少ないそうですが、普通の施設で働くより、5~7万円ぐらい高くなります。 働く箇所は50箇所もあります。契約スタッフは、それぞれの職場に自分の名前を登録しておきます。上の写真はオペレーレィングルーム。 ここには2人の電話受付スタッフが働いています。 IMG_6374

写真はユニットマネージャーのクリスティーナ・カースソンさん。気さくにいろいろ教えてくれました。 彼女は2002年にプロジェクトのチームから指名されて、この仕事につきました。当初の運営方法でスタートしたものの、ずいぶん、 やり方を変えたと語ります。そして、マネージャーとして何から手をつけたかというと、スタッフとよく話し合ったことだそうです。 会議の時もあれば、個人的な話し合いを重ね、仕事の運営方法を開発しました。また、教育にも力を入れたそうです。

もう一つ、興味深かったのは、行政スタッフの派遣です。 エスロブ市の高齢者部門には11人のマネージャーがいます。このマネージャーの経理・秘書業務を5人の優秀なアシスタントが行っています。 この人たちもクリスティーナさんの所から派遣されています。写真のブリギッダ・グラッドさんは、 シャラオークラという高齢者の総合施設で働き、高齢者の特別住宅のマネージャーのリスベクツさんと、 リハビリのマネージャーのスタファンさんの2人の仕事を担当しています。

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下の写真はスーヘランという高齢者特別住宅で働いていた、パレスチナから来たマルワンさん。 彼はクリスティーナさんの30人の精鋭スタッフの1人です。彼がいい仕事につけて、私はとても嬉しくなりました。とにかく、 6人の子どものお父さんですから。

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2006年06月09日 19:31 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

雇用の創出が福祉のリソース(資源)

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6月1日(木曜日)

今日は「“Gunel・グンネル”の日だから、グンネルに会ったら最初にそのことを話すといいわよ」 とクリスティーナ・ウォーミングさんがアドバイスをしてくれました。欧州では365日に、キリスト教の聖人の名前がついていて、 今日はグンネルという聖人の日だそうです。スウェーデンではもちろんルーテル派の聖人でしょうが・・。 今日は市庁舎で2回のインタビューする予定。午前中は、行政部門で働く、グンネル・へリストロンさんに会いました。彼女の仕事は市の貿易・ 観光・産業を担当する責任者。といってもたぶん部下はいなく、エスロブ市に3000社ある企業の窓口を1人で勤めています。 市庁舎の2階に行政部門のオフィスがありますが、長い廊下には個室が連なっているだけ。1部門1人が責任を持ち働いています。 秘書はいるようですが、数は多くないようです。

人口3万人と言われるこのエスロブ市に初めて足を踏み入れた時、 この素晴らしい福祉の財源となる産業はどうなっているのだろう。農業だろうか。商店の数は少ないし、企業といってもあまり見かけないし・・。 と大きな疑問を持ちました。私の学生寮がある旧市内は、60年前に建ったという、 日本でいうと田園調布が貧弱に見えるぐらい立派な家々が残っています。住人は変遷しているようです。しかし、ここに家を建てた人たちは何でお金儲けをして、こんなに立派な家に住めたのかは、大きな謎でした。 どこを歩いても、この町にはお金儲けの場が見当たらない・・。

ところがある日、見落としていた地域があることがわかりました。 線路をはさんで向い側のバリアという地区です。ここは奥行きが広いことがわかりました。そこである時、 探訪してみるrと実にたくさんの工場があるのです。小さな時、私が生まれた東京大田区には、住宅地の隙間に小さな工場がありました。 スウェーデンでは工場は1地域にまとまっているのです。バリアの工場地域は富士の裾野の樹海とまではいかなくても、広いのです。 私はこれらの企業のことが知りたくなりました。そこで、あるパーティであったグンネルさんに会いたくなったのです。

話は変わり、グンネルさんは、私と同じ1947年生まれですぐに59歳。スウェーデン最大の湖、 ヴェーネルン湖の南にある町の出身です。ルンドにある秘書学校で勉強をしたのち、1969年からの秘書業務を皮切りに、 今の職を得る前はアッカ・マンという大手企業のセールス・プロモーションや広報担当を長年担当し、キャリアを磨いてきました。 専門的知識はどうやって勉強したのかと聞くと、マルモの単科大学の講座で、休みの日に勉強したという答えが返ってきました。 マルモはスウェーデン第3の町で、エスロブ市から電車で40分ぐらいの町です。

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写真は今年3月8日にこの地区を1人で探訪したもの。まだ、雪が残っていました。交通の要所であり、 地価も安いエスロブ市には外国企業も含めたくさんの工場が集まりました。「たくさんの会社があります。 オーナーはスウェーデン人ばかりではありませんが、エスロブに住んでいる人も多いので理解はしてくれています」。 スウェーデンでは日本と同じように安い労働力を求めて企業が外国に工場を作る傾向があります。「ボルボ(世界的な自動車企業) の農業耕作機の工場もエスロブから韓国とドイツに移りました」とグンネルさんは語りました。何しろ、 スウェーデンでは企業の従業員への社会保障の負担も高いので、人件費は高くなり勝ちです。 2時間のインタビューはとても情報が詰まっていました。

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スウェーデンでは企業が払う税金は国に集まりますが、 市民が払う税金が地方自治体の財源になるわけです。エスロブ市の収入の58%が市民税。「企業が市に集まる効用は、市が活力を得ること」 とグンネルさんは語りました。つまり、市民税を払う人が増え、エスロブ市に人々が住みたいと思い、税が集まる。福祉の財源が増える訳です。 雇用の創出が福祉の充実につながるのでしょうか。

2006年06月09日 05:15 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年06月08日

選挙運動が始まっています

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5月31日(水曜日)
9月16日はスウェーデンの総選挙の日。日本と同じ9月です。テレビでは、毎日のように政治に関しての番組が組まれています。 辞書を引きながら、これは国会中継だとか、社会民主党の議員が話しているのだとか、5%ぐらいの理解ですが、 テレビという窓を通してこの国を眺めています。午後、政治家にインタビューしました。 今週は5つもインタビューをしますが、2つ目の取材です。写真は右派 Moderat:穏健党」 のエスロブ市の事務所のショーウィンドウです。ここで午後4時にエスロブ市穏健党のボスであるミカエル・クォーツマンさんに会いました。 彼は、今、レジオンスコーネ(スコーネ県)の議員です。今回の選挙では市長の座を狙っています。
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事務所のカギがしまっていたので、ドアーの前で待っていたら、長靴を履いたおじさんが親しげな笑顔でやってきて、それがミカエルさんでした。 愛嬌があり、温かなタッチの人でした。
ミカエルさんにインタビューをしたのは、地域医療センターを調べていたら、もう少し、詳しく、医療事情を把握しなければと思ったからです。 前回インタビューした看護師さんからは、数字が把握できなかったので、クリスチーナさんがそれならと、県議会議員の彼を紹介してくれました。 つまり、県予算の85%が医療費。県議会議員の仕事イコール医療だからです。

スウェーデンでは、1992年のエーデル改革で、医療は県が、福祉・教育・地域社会・ 介護は自治体が責任を持って運営することになりました。改革後、今年で14年がたちますが、私が見た限りでは施設ケア、訪問介護、 看護の場でお医者さんに会いません。お医者さんは県に属し、市にはお医者さんがいません。内科医のプライマリケア(初期医療) はエスロブ市に3つある県の地域医療センターで行い、エスロブ市には病院がありません。専門的な医療は隣町のルンドにある大学病院と、 2つの県病院に行きます。歯科、眼科、耳鼻科、皮膚科などのトクターは、一箇所に固まっています。 地域には私立のクリニックがあるようですがどういう存在するのか、これから確かめてみるつもりです。話を聞くだけではなく、 実際にその場に行き、自分の目で確かめる作業が必要です。お医者さんにインタビューしたいのですが、近々、地域医療センターに行き、 相談してみるつもりです。2005年の医療関係の資料を求めた私にミカエルさんは、 用意すると言ってくれ、6月8日に会うことになりました。医療と政治の仕組みは別の機会にお伝えします。

帰り道にいつもこの事務所はなんだろうと思っていたショーウィンドウをよく見たら、 社会民主党の事務所だとわかりました。各政党は企業で言えば、 CI (コーポレイト・アイデンティティ)のようなことをやっていて、 シンボルマーク、ロゴタイプ(党の名を表現する活字のデザイン)、テーマカラー、販促グッズ(バッジやキーホルダーなどの小さなお土産)、 立候補者の写真などがウィンドウに飾られています。右派と左派の違いは、小さな政府と大きな政府の違いのようです。 左派で政権をとっている社会民主党はできるだか公営がいいと考えているそうです。一方、右派は民営の活力を入れたい考えです。民営といっても、行政の枠の中ですべてが行われるので、日本の民営とはだいぶ違います。 政治のこともこんど書きますね。

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2006年06月08日 18:21 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

美しく賢いマネージャー、マリさん

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5月30日(火)

この日、私は高齢者特別住宅のマネージャー、マリ・ペトコブスキさん(写真)にお会いしました。 前回までの2回インタビューの内容確認です。大変忙しい方ですが、時間を空けてくださいました。 マリさんは樋口恵子さんがいらっした時にも案内をしています。エスロブ市には市営の高齢者の「 Särskilt boende」、 訳して介護つき特別住宅が6つあります。これまでサービスハウスと書きましたが、これからはこの呼称にします。マリさんは、 その中の一つトルホゴーデンの責任者。1967年生まれで今年38歳になります。 ストックホルムのカロリンスカ医科大学で看護師の勉強をした秀才。カロリンスカ大学はノーベル医学生理学賞を決める大学でもあります。

「私はオンコロジーナースとして、これまで、たくさんパリアティブケア(癌の終末期のターミナルケア)の講義をしてきましたが、 今は夫の仕事の関係でエスロブ市に住んでいます。私のキャリアを知った市からすぐに話があり、この仕事につくようになりました」。 彼女には11歳と9歳と、もうすぐ3歳になるお嬢さんがいます。苗字が珍しいのはご主人のご両親がユーゴースラビア出身だからです。 インタビューをする時、いつも
ご本人のことも聞くようにしていますが、学歴や職歴を話しても、 個人的なことを話さない方が多いなかで、マリさんは、去年、気軽にプライベートなことも話してくれました。そして、「ルミ、 わからないことがあれば、何度でも聞いていいのよ。いつでも見学していいのよ」と言ってくれました。感激でした。 詳しい経営の数字も教えてもらえました。ざっと、お話しすると、実質、1人の入居者にかかる経費は1ヵ月で38,8万円。この70% が人件費、19,6%が家賃です。入居者も家賃と食事代、介護費用を毎月支払います。その金額は年収により、限りなくゼロに近い人もいます。 すべては自治体に入る税金でまかなわれていて、何度もマリさんは「税金を使うのだから、最大の効果を出す経営が課題だ」と話しました。

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前にも書きましたが、トルホはトロールで森に住むいたずらな妖精。ホは湖、 ガーデンは野原という意味で、この「トロール ホ ガーデン」はトロールの湖の野原という意味です。 エスロブ市は美観地区を高齢者と向かいにある中学校に使ってもらっています。トイレとダイニングキッチンのワンルーム(11坪が平均の広さ) のマンションが70あります。廊下や一階にあるホールやレストランには、亡くなった入居者の遺贈の家具や絵やタピストリーが飾られ、 カーテンや壁の色や素材、採光で自宅の雰囲気を演出するようにしています。

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この特別住宅は終の棲家です。つまり、入居者の方々は認知症になっても、 終末期になっても最期までここに続けます。24時間のパリアティブケア(終末期ケア)を受け、亡くなっています。 マリさんは終末期ケアの哲学で、介護者教育を行いながら、経営の腕もふるっています。今、日本では医療改革で、療養型病棟に「住む」 高齢者が行き場を失おうとしています。また、医療保険で経営される老健や老人施設には3ヶ月しか「住む」ことができず、 次の住処を探してくれと家族は言い渡されます。厚生労働白書に連なる言葉はスウェーデンからヒントを得たと思われるものが多いのに、 この現実はなんでしょう。

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2006年06月08日 07:19 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年06月06日

夏休みに入った男の料理教室

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5月31日(水曜日)

今日の水曜日が夏休みに入る前の最後の「男の料理教室」 の日です。前に17日が最後の日とブログに書きましたが、今日がほんとうの最後。 先生のアンブリッドさんがこれから7月の第一週まで夏休みを取るからです。夏休みが長い。それに時期が早い。 アンさんはこの高齢者の集会場で働くエスロブ市の職員で、50%のパートタイム勤務。最初の写真はこの日のクッキングが終わった時に、 男性の皆さんからアンさんに感謝のしるしとして、植木鉢の花が贈られているシーンです。アンさんの休みの間は、男性たちが自主的に運営、 朝ごはんを作って食べるのだそうです。

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今日のメニューは「バターケーキ」。 前にアンさんの家に行った時にも同じ料理が出ました。6月はスウェーデンでは卒業式のシーズンで、 この料理がよく出されるのだそうです。薄切りのパンにツナを数種類のクリームチーズやマスタードで合えたクリームをぬり、 3段に重ねます。これをスポンジの台にして、上に海老やカニカマ、白い缶詰のアスパラ、キャビア(もどき)、ゆで卵、 トマトなどで飾ります。昨年の10月6日にトルホゴーデンというグループホームのカリンさんののお誕生日に同じケーキを見かけました。  

写真のサングラスをおでこに当てているのがレナートさん。 目が不自由です。 だから、 お皿とグラスは色つきを使っています。それでもレナートさんはこの日もよく働いていました。

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樋口恵子さんの通訳をしたルンド大学の多田葉子さんが 「スウェーデンでは男の料理教室はあまり上手くいっていないようだ」とおっしゃっていましたが、私の見る限り、 アンさんの料理教室は成功しているようです。妻を亡くして淋しい思いをしている人や、妻の介護中の男性が集まり、 お互いに慰めあいながら仲良くやっています。この部屋の外のホールではビリヤードのゲームに興じる男性たちがいましたが、気がつくと、 うらやましそうに集まって様子を見にきました。それが下の写真。料理教室は人気があるようで、順番待ちのリストができたと聞きました。ただ、 気になるのは、どうも男は男、女は女でまとまる傾向です。

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2006年06月06日 21:37 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

麻子さんにめぐり合う

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5月30日(火曜日)

日本からの研修生の池田めぐみさんとNGOセカンドハンドショップのボランティアを終えたのが、 8時半ごろ。外はまだ明るい時でした。お茶か食事かと思ったのですが、めぐみさんはお腹がいっぱいというし、 ホームステイのお宅まで歩くにはかなりの距離がありそうなので、暗くなる前にと思い、地図を頼りに送っていくことになりました。 初めての道なので、暗い道を一人で帰る不安が胸に湧きました。

ところが、ここからが思わぬ楽しい展開。 めぐみさんのホームステイ先のオッレさんと奥さんのイングリッドさん夫妻の思わぬ温かいおもてなしに会いました。それも、 オケソン家には以前にも2人の日本人がホームステイをしていたのです。その1人が斉藤麻子さん。 斎藤さんとはスウェーデンに来ることが決まってから、六本木のスウェーデン大使館の中にあるSCI(スウェーデンケアインステチュート) でお会いしていました。その後、メールのやり取りをしながら、情報を得た方です。 写真はパソコンで麻子さんの写真を見せてくれるイングリッドさん。

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エスロブの人々(スコーネ地方の人々) はどうしてこんなに生活を手作りするのが上手なのだろうと心から感心しました。オッレさんはペンキの仕事。 イングリッドさんは作業療法士の仕事をしていましたが、今はペンショナー(年金生活者)です。オッレさんの趣味は油絵。 市の博物館でボランティア活動をしています。年金生活者1年生のイングリッドさんは昔から機織の名人でした。
その写真が次の写真。地下には2つの機織があり、小さいほうの右の機織はお母さんが使っていたものだそうです。 トイレにかかっていた麻のタオルもイングリッドさんの手製。手製のジャムを添えたパンケーキとコーヒーをご馳走になり、 12時近くまでお邪魔してしまいました。麻子さんにあえて感激の夜でもありました。

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2006年06月06日 07:12 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)