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2006年03月15日

ベテラン作業療法士 レイナさん

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3月6日(月曜日)

作業療法士のレイナ・ マンソンさんはポリスステーションにあるホームケアチームの部署に自分のオフィスを持っています。彼女に初めて会ったのは去年の10月。 ホーカンソンという唯一の私立の療養型病棟の食堂にいた時です。彼女は定期的にホーカンソンを訪ね、器具のチェックをしていたのです。 彼女が広い食堂に入り、一人、車椅子に座るお年寄りに笑顔で声をかけると、その場の空気が和やかになり、活気づきました。 研修生の女性を一人連れていました。その場で、「次に来た時に会えますか」とインタビューを申し込みました。

彼女は59歳。15歳結婚、子供の手が離れるまで9年間は専業主婦をしていました。 1年間の専門高校での作業療法士としての勉強ののち、今にいたります。彼女はホームケアのチームと一緒に仕事をしています。障害を持っても、 一人で家に暮らせるよう手助けをするのが彼女の仕事。「ひとこと言えば、生活を簡単にして、障害を持ったことをプラスにするのが私の仕事」 と語りました。しかし、すべては障害者本人が決める。高さも長さも器具も、という姿勢を貫いています。

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町はずれにある器具センターに立ち寄るレイナさん。ここではすべてが揃います。 スウェーデンでは福祉器具はすべて、障害者研究所の審査を経て夜にでます。値段もここで決められます。 資本主義の不当な競争に巻き込まれないように働く機関があるのです。

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最初の訪問は40歳ぐらいの若い人。 怪我で腰を痛めて働けなくなったために療養中に家で過ごしやすいようにいろいろなアイデアを持ち込んで、相談しているところ。 写真は腰を曲げなくても靴下が履ける器具。歩きやすい杖を持参。トイレ、お風呂、 椅子のクッションなどに少しの器具を加えることで暮らしやすくなりそうです。

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次はスコンスカという新聞社のマネジャーをしていたという男性のお宅。一人暮らしですが、 掃除も行き届き、さまざまな工夫をしながら、家に一人で暮らすことを維持しています。この訪問は精神的な訪問。つまり、 特に用事はないけれど、様子を見に来て話をするだけ。この男性は実にきちんと暮らしていました。「彼はアクティブマン、 自分で考えて工夫をしているの」とレイナさん。
彼女の心情は「正直であること。フレキシビリティを失わないこと」だそうです。

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2006年03月15日 17:10 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

雪の中を1時間のウォーキング

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3月5日(日曜日)

久しぶりにクリスチーナウォーミングさんの家に麻衣子さんと遊びにいきました。 お昼を食べる前に一時間の散歩をしようということになり、ご主人のヴァントさん、クリスチーナさん、麻衣子さんと4人で歩き始めました。 寒そうにみえるけれど、案外寒くないのです。面白いのは歩きながらよく見ると、雪の原にいろいろな足跡があることです。たぶん、 野うさぎのものでしょう。雪の足跡遊びをしながら、歩きました。ヴァントさんもクリスチーナさんもスモーランドの出身。 雪の遊びはよく知っています。実は南のスコーネには普段はあまり雪が降らないのです。今年は25年ぶりの雪が多い年だそうです。 雪がない普通の年は風が強くて嫌になるぐらいだから、雪の方がいい、と誰もがいいます。

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ヴァントさんが寝転がっているのは、こうして、手を上下に動かすと「天使」 が雪にかけるんだと教えてくれました。腕を動かした後が羽になるのです。4人で子供に帰った気持ちで雪の中を歩きました。 ジムでエクササイズを健康的なウォーキングです。クリスティナさんとヴァントさんが、麻衣子さんと私の先を歩いていた時に、 2人が仲良く手をつないだので、すかさず、写真を撮ると、2人はおどけてこんなボーズをしてくれました。

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家に帰り、ホットチョコレートをご馳走になりました。

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2006年03月15日 08:11 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

99歳と84歳のご夫婦が築いた生活

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3月4日(土曜日)

1907年生まれで、かくしゃくとして元気なラルス・スペルソンさんは99歳。奥さんのヴィオラ・ スペルソンさんは84歳。お2人の結婚生活は64年間にわたります。お宅に訪問したのは今日で2度目。 お2人には明治時代の気骨のある日本人を感じます。農家の10人兄弟、 9女1男のひとりだけの男の子だったラルスさんは父親の後を継ぎました。ヴィオラさんとの結婚は35歳の時。 農家の青年組織のダンスパーティで知り合いました。

ラルスさんは、かつて100匹の豚、乳牛、鶏を飼い、肉やミルク、チーズに卵を生産していました。 1年365日、朝、5時30分に起き、乳搾りをしてから、7:00に朝食、 2人の女の子を学校に送り出す日常を送ってきました。この他、砂糖のビート、自家用のジャガイモ、にんじん、豆なども作っていたそうです。 1950年代にトラクターが入るまでは、馬を使い畑を耕していました。

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専業農家で忙しく働いていたヴィオラさんが洋裁を習ったのは65歳の時、 洋裁の学習コースで学びました。彼女の手仕事は職人のようです。スーツの襟、柄合わせが確か。今、 着ている襟の部分がニットで身ごろが布のツ-ピースも素人の手仕事とは思えません。右に写るランプシェードもヴィオラさんが作りました。 洋服ダンスにたくさん下がっている洋服はすべて自分で作ったもの。

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ラルスさんも椅子を作りました。背もたれの刺繍はヴィオラさん。また、2人は別々のブックサークル (読書会)での活動を続けています。本はABFという市民の文化活動の集会場に行けば借りられます。 二人ともこの活動は1985年から続けています。ラルスさんは水曜日のグループ。5週間で一冊の本を読み終えます。 ヴィオラさんは金曜日のチームで10週間で一冊。また、毎週火曜日にはカリダールで行われる年金者組合の音楽の会にはかかさず出席します。 また、毎月、Forsamlingshemというスープの日には39クローネを払いスープを皆さんと頂きます。 30人ぐらいが集まるそうです。夫婦喧嘩はなさいますか、 という私の質問に2人は顔を見合わせて、「ナイ、ナイ(いえいえ) 」 と答えました。

2006年03月15日 07:41 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月14日

スカンジナビアンモダン

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3月3日(金曜日)

日本では雛祭りのこの日の午後、スティグのインタビューを終えたシーマと私は、 カリダールで働くアンブリッドさんの家にお呼ばれしました。彼女はエスロブ市の北東にあるホウルビイという町に住んでいます。 カリダールで待ち合わせて、車で40分も走ったでしょうか。綺麗な町が現れましたが、さらに、走ると田園地帯に出て、 その先に彼女の家がありました。1898年に建てられたスコーネの長屋といわれる古い農家を改装して住んでいます。

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彼女の生活はまさにスカンジナビアンモダン。 写真を撮るのを遠慮したのであまりいい写真がありませんが、実に素敵な暮らしぶりでした。 白いクラシックなバスタブに紺のタオルなどのテキスタイルで演出した浴室が抜群。 それに料理の本がディスプレイされているこの台所もなかなかのもの。清潔感、シンプルモダンに鄙びた田舎家のニュアンスが加わり、 実に居心地がいい家でした。アンブリットさんのセンスの良さはなかなか。それに料理の味がいい。 プロが作った市内のレストランの料理よりずっと美味しいと思いました。

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昨日から作り、一晩寝かせたというケーキのようなパンのサンドイッチにサラダが今日のメニュー。 これもほんとうにおいしかった。食事はご主人の手作りというサンルームで。大きさを決めて注文すると、 カットされた建材一式が送られてくるそうです。3方に開いたガラス戸の外は一面の雪野原。隣の家までの距離はかなりあります。 ご主人に言わせると、自分たちの手作りだから、安くできたのだそうです。実に贅沢な生活だと感心しました。 ちなみにいつもお洒落な彼女の洋服は手作り。

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この夜は雪が積もりそうなので、少し早めに、家を出ました。 ホールビイの駅まで15分ぐらい車で送ってくれ、その後はホラーという駅までバス。その後は、汽車でエスロブに帰りました。 バスが駅に止まり、プラットホームに出たら、汽車が出発。乗り遅れたとヒヤリとしたら、雪で一台遅れているとのこと。 一人では到底帰れない道をシーマさんが一緒なので帰ることができました。

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2006年03月14日 10:01 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

カリダールに住むスティグさん

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3月3日(金曜日)

今日はカリダールという高齢者の集会所がある建物に併設された高齢者アパートに住むスティグさんを通訳のシーマさんと訪ねました。 スティグさんは、カリダールの集会所に行くといつでも会えます。集会所が彼の居間のような存在。朝も新聞を自宅から持ってきて、 集会所のロビーで広げて読んでいます。読んでいるうちに、ここで働くアンダーナスが来て、隣に座り、ちょっとした会話が始まります。 昼も男友達と一緒にカリダールの食堂で食べます。普通は59クローネ(850円)だけれど、年金生活者は39クローネ(560円) で食べられます。いい食事が一日一回、食事を作るのが面倒な男性も格安で食べることができるのです。 彼はここでビリヤードもよく楽しんでいます。

そのスティグさんの自宅でインタビューとなった時、彼は「朝食を一緒に食べない」 と通訳のシーマさんと私を誘ってくれました。僕は日本の男性と同じ、と自称するくらい家事は苦手という彼が豪華な朝食を用意してくれました。

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スティグさんは2000年に奥さまが亡くなられてから、 カリダールの高齢者アパートで一人暮らしを続けています。彼に簡単なライフヒストリーを聞かせてくださいと頼むと、ちょっと、 悲しい生い立ちを伺いました。彼は1922年生まれの84歳。生まれは、スコーネでも海よりのランドスクローナ。 5男1女の6人姉弟の末っ子。彼が2歳の時にお父さんが、6歳の時にお母さんが亡くなりました。幼い彼だけはおばさんの所に引き取られます。 エスロブ市の人々の朝食はオートミールが多いけれど、海の近くで育った彼は朝から鰊を食べていたと聞きました。

幾つからかはわからないけれど、大きくなった彼はエスロブ市の屠殺場(肉をカットする会社) で22年間働きます。結婚は24歳の時、1男1女に恵まれます。そして、通信教育で計理士の資格を取り、 1960年には自分の会社を持ちました。かなりよく働いた彼は、奥さんには家にいて欲しかったので、 彼の奥さんは下の子を産んでからは専業主婦だったそうです。楽しかったのは、当時、 エスロブにできたホテルに奥さんとダンスをしに行ったこと。1950年代のことです。

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スティグさんの話を聞いていると、スウェーデンの経済が成長している時代が髣髴と浮かんできます。 カリダールの高齢者アパートはさまざまな人生を過ごしてきた人々の終の棲家。でも、安心して住める住宅だと思います。 スウェーデンでは昔このようにしてコーヒーを飲んだのだと教えてくれました。

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2006年03月14日 09:25 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

SFIのエバ先生

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3月2日(木)

SFIは、18歳以上の移民の方が通うエスロブ市が経営する語学学校です。場合により、 16歳からのケースもあります。星名麻衣子さんはこの学校でスウェーデン語を学んでいます。今日は2度目の取材です。 スウェーデンで仕事に就くにはスウェーデン語が話せないと通用しません。教室の一番後ろに座り授業風景をみました。今日は13名が出席。 3人が休みだそうです。エバ先生ががゆっくりと学生にわかりやすいように話をしています。日本からお客様が見えていますよ」 と私を紹介してくださいました。今日はSKRIVA(履歴書)の書き方を勉強しました。とても、自由な雰囲気の授業。 エバ先生は生徒の信頼がとても厚いそうです。

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この日は簡単な書き取りのテストもありました。Sang(歌) という言葉から始まりました。隣の麻衣子さんはすらすら書いています。さすが!ちなみに、麻衣子さんはこの後、 一週間後にAから始まる4段階のクラスのCに合格して、Dに進級となりました。この学校には141人が学んでいて、そのうち、 20人が他のコミニュンから学習に来ている生徒。女性が92名、男性は49名、なにぶん、女性がどこでも積極的。国はコソボから21名、 ポーランドから17名。イラクから14名、タイからは12名といった具合です。31の国からの学生が学び、 その言語は24種類の違う言葉だそうです。

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エバ先生は2人目の子供ができた30歳の時に、それまで、 料理を学校で教えていた自分の人生を変えようと思い立ちました。Komvuxという20歳以上の人が学びなおす学校で、 もう一度終了していない科目を2年半かけて学びなおし、その後、マルモの大学に入学しました。大学で3年半学んだのち、 マルモ市で外国人の為の語学学校の先生になります。2年間をその学校で過ごしたのち、エスロブのSFIで先生を募集していたので、 応募して今にいたります。

エバ先生は「先生の仕事というのはとてもヘルプフル」と言いました。「勉強を教えるだけでなく、 人間を理解するのが私の仕事だと思うの」というエヴァさんの言葉に、先生の仕事とは・・、とあらためて考えました。エバ先生は抜群の人気。 去年のクラス替えの時に、先生のクラスで勉強できなくなったクラスの全員が、学校に「自分たちはエバ先生に学びたい」 という嘆願書を出したぐらいです。先生のお誕生日のお祝いもクラス中が集まり、教室でパーティをしたそうです。

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2006年03月14日 08:27 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月13日

ホームケアサウス

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3月2日(木曜日)続き

Hemvardとはホームケアのこと。 写真は市内のホームケアの4つのパートを取り仕切るユニットマネジャーのカメラ・プレソンさんです。 カタリーナさんとホームケアのオフィスに一時休憩に帰り、お礼をいいに行こうと部屋に行ったら、この写真。 ドアーの外で出会いました。 私が読売新聞の「天窓」に書いた文章を英訳したものをカタリーナさんが見せておいてくれたので、 「読んだわよ、あなたのこと」 ととても気さくに歓迎をされました。今回は時間がないので、 5月から6月にかけて滞在する次回にインタビューすることになりました。元気な40代の女性。ちなみに、 高齢者ケアの部署の10人のユニット・マネージジャーは、スタファンさんをのぞいて全員女性。女性のパワーを感じます。

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休憩が終わると、また、出動です。 カタリーナさんが手にしているのはDOMOSというスーパーの袋。たぶん、去年の秋、 訪問した時にはなかった買い物サービスを始めたようです。お年寄りの家で買い物の注文を聞き、買い物表に書き取ります。 それをインターネットでDOMOSに注文。 事務所に配達されたものを持参します。ニーズの掘り起こしで独自に編み出したサービスでしょう。 簡単に買い物にこれないお年寄りには便利なサービスです。ディナー(一番豪華な食事) である昼食は一週間分の調理された冷凍パックがランドスコーネという町から届きます。 食事のデリバリーサービスがいまいち把握できませんので、これも次回の宿題。下の写真の左手が調理食をとろけるパックですが、 たぶんに臨機応変な対応をしているので、全体がつかめません。

朝、一番で訪問したカリンさんの家に再度訪問しました。カリンさんはとっくに着替えをすませ、もちろん、 部屋は綺麗に片付いて食事も済ませています。最初は重症に見えたけれど、料理も作るし、パンも自分で焼くのよ、 とカタリーナさんが教えてくれました。トイレの介助の訪問なので、同性ということで、「どうぞ」と言われ、 立ち上がる場面だけ見せていただけました。不自由ながら、自分で尿とりパットも当てています。車椅子にも自分で乗れます。

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古いエスロブの風景画がかかっていました。「カタリーナさんが質問してあげて」というので、 柄のことを聞くと、「エスロブには古い風車があったのよ」と昔のことを話してくれました。カタリーナさんが「これを見て」 とお孫さんから送られてきた写真を見せてくれました。それは、この家によく訪ねてくるお孫さんが初めて出産した時の写真。 そこにはこんな言葉がありました。

すべてをポジティブに生きるのはアート

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2006年03月13日 03:59 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月12日

ホームケア・サウス 市内のホームケア 

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3月2日(木曜日)

ホームケアは大きく分けて2つに分かれています。市内と郊外の田園地帯。 今日は市内のホームケアの取材です。これも4つのグループに分かれ、南東、南西、北東、北西の4つ。私はこの日、写真の南(SYD)西 (OST)、南西のチームのチームリーダーのカタリーナさんに付いて回りました。 カタリーナさんは南東と南西の2つのチームを自分も現場で働きながらリーダーとして働いています。南西のチームには42名の利用者(高齢者) がいます。今日、出勤のアンダーナースは6人。朝7時から打ち合わせが始まります。

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働いているメンバーの年齢はさまざま。カタリーナさんはたぶん私と同じ50代後半。40代、30代、 20代の後半、前半といろいろな経験のレベルの人々が混ざって働いています。下は市内のホームケアサービスのオフィスの玄関。 自転車が並んでいます。このオフィスがあるのが、警察のあるビル。去年このビルを訪ねた時のことでした。 クリスティーナさんが渡してくれたレジュメに「at ploice office」と書いてあり、ホームケアを訪ねるのに、 なぜ警察を訪ねるのかが、どうしても理解できませんでした。まさに言葉、習慣の違う私がこの町を理解しようとするのはゲームのような、 謎解きのような小さな困難がたくさんあったことは確かです。

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この日もお天気は逆戻り。朝一番の仕事は車の雪払いから始まりました。7:30出発。 カタリーナさんはベテラン。仕事を見ているとプロ中だと思いました。去年も、 ご主人の仕事の関係でアメリカに長く英語が堪能なカタリーナさんに付いて取材をしています。10キロほど車を走らせている途中で、 私の耳に残った言葉があります。「例えば病院から退院した後、在宅を選択した方がサービスハウスを選択した人より長生きをするの、 なぜかわからないけれどね」という言葉です。家を変えるのは認知症にはよくないのよね。去年は自宅で淋しそうに見えた高齢者が、 この冬には違って見えました。懸命に、自分の家に固執して生きているという印象なのです。

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最初に伺った家は下のような集合住宅。ポストから新聞を取り出すのも、重要なサービスです。 利用者は81歳のカーリンさん。一人暮らしです。30年間、学校で給食を作る仕事に携わってきた方です。 「25年芽には金時計をもらったのよ」としぅかりした声で答えてくださいました。それに「ああ、あなたにはカリダールで会っているわね」 と言もわれました。たぶん、カリダールという高齢者の集会場の火曜日の音楽会の日に会ったのでしょう。

カタリーナさんはまず窓のブラインドを開けます。部屋に明るい光が差し込んで、これも、生活のクオリティを高める重要な仕事。 次にカタリーナさんがしたのは、靴下を履かせる仕事。これは脹れた足の血の循環をよくする靴下。カーリンさんの問題は膝、 手術がうまくいかなかったので、膝が曲がらないのです。

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この靴下は長さもサイズも数種類あり、カーリンさんの場合は膝下の長さでした。 脹れた足にタイトに履くのは難しそう。靴下が履けるとスカートを足から入れ、 カタリーナさんが右手を引いただけでカーリンさんは自分の力で起き上がります。そして、自分で歩行器を使い立ち上がり、車椅子に移動します。 ベッドから車椅子までの3メートルは車椅子で一人で移動。トイレのドアーの所で、また、歩行器を使い自分で立ち上がり、 歩行器を回転させて立位置を変え、歩いてトイレの便器に移動。足はかなり悪そうで、いざるような歩き方です。座る前に、 カタリーナさんがパンティーを下ろすのだけを手伝います。

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私が感心して見ていると、カタリーナさんは「We see what they need for help」と答えました。決して安易な手出しはしないのです。カーリンさんが便器に座ったのを見極めると、すかさず、 カタリーナさんはベッドメイキング。手際がすごくよい。この後はカーリンさんはすべて自分でできる。洋服を着るのも、朝食を作るのも。 それでも、ホームヘルプサービスyは朝、昼、晩の3回利用。カタリーナに言わせると、滞在時間は15分から30分がほとんど。つまり、 ホームヘルプサービスは、利用者と介護者の共同作業のようなもの。一方的に受けるのではない。 利用者が自立していることが最高の人間的な尊重になるのです。7時35分に事務所を出発して、カーリンさんの家を出たのが8時5分。 ここまでの車の移動時間を入れると、20分ぐらいの滞在時間。

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この後は、隣の家に立ちよる。すでに着替えて台所のテーブルに座っている女性に薬を上げるだけ。 5分ぐらいの滞在、これでも、毎日、同じ時間に信頼している介護者が来るだけで生活にリズムができる。カタリーナさんは、 この訪問は心の問題だと言った。短い時間だが、実によく話す。次に寄った家では少しゆっくり。本人が吸引をしている間に、 朝食の支度を始めた。サンドイッチとコーヒー。ドリップ式のコーヒーが落ちていく音といい匂いが立ち込める。次も時間をかけて、 カップルの家に向かう。このカップルは2人とも介護が必要だが、自宅に住んでいる。この家でも時間がかかる、 最後に家を出る時にごみだしをするのも、重要な支援。雪の屋外に簡単には出られないし、ゴミが部屋にあると異臭の原因にもなる。 ここまでで10:45。この後、車を走らせて事務所に戻り、30分の休憩。早めの昼食を済ませる。

 

2006年03月12日 04:00 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月11日

Ingla インゲラ40歳のお誕生日

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3月1日(水曜日)夜

インゲラはバリア・ゴーデンというサービスハウスで働くアンダーナース(准看護師)。 花の独身で素敵なアパートを買い、一人暮らしを楽しんでいます。そのインゲラが40歳のお誕生日を迎えました。 お誕生日で印象的だったことが3つあります。一つは、かなり、人が集まるのかと思ったら、家族だけの、オープンサンドイッチパーティ。でも、 ハムやチーズはDOMOSで働くお母さんがいるから美味しそう。台所のテーブルに、タッパウエアに入れてあるハム、瓶ごとのピックルス。 それにパン。勝手に自分でオープンサンドにして、居間のテーブルに持ってくるという具合。 今日も勤務があった彼女の方に力が入らないもてなし。

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友達からは花やプレゼントがいっぱい。手前の大きなろうそくたてから、 小さなアクセサリーまでディスプレーがしてありました。居間のテーブルにはワインのデキャンタに冷やした白ワインが注がれていました。 2つ目に印象に残ったのは食器。ロイヤルコペンハーゲンのブロウ・ブルマのケーキ皿とティーカップです。 デンマーク王室御用達のロイヤルコペンは、昔、デンマーク領であったスコーネの人々にとっては憧れの食器なのでしょう。 高いのそろえているなと思ったら、父方のおばあちゃんがティーカップを、 母方のおばあちゃんがプレートをお誕生日とクリスマスごとに一つずつ揃えてくれたものだそうです。20セットあるとのこと。

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3つ目に印象的だったのは父方のまた従姉妹がアメリカにいること。インゲラに会うと、「私、 こんどアメリカのまた従姉妹の結婚式に行くの」という言葉を何度か聞いたのですが、去年と今年に一回ずつ従姉妹の結婚式があるのです。 アメリカに行くのは、彼女たちにとって格別の意味があるようです。1925年に父方の従兄弟が17歳で単身移民したそうです。 ミネソタ州にスウェーデン系の移民が多いということもわかりました。

スウェーデンの、例えば、スーパーの商品にアメリカ的な消費文化の匂いを感じます。 フランスやイタリアの濃くを感じるシックな食料品店の風情とは違う、物流文化のたまものの感じ。前にも書きましたが、 600万人しか人口がいなかった20世紀の前後に人口の4分の1弱に当たる人々がアメリカに移民しているのです。スコーネからは少なく、 土地のやせたスコーネの北のスモーランドから一番たくさん移民したそうです。

ついでに、4つ目。 インゲラのお父さんはこの間エジクレボーンさんが話して下さったエスロブの大手食品会社のFILEXのジャガイモの生産部門で働いていたそうです。 これはマッシュポテトにするジャガイモです。お父さんが「工場労働者は60歳で早期退職するのです」と語りました。ペンショナー (年金生活者)までの5年間は会社が年金を支払ってくれるそうです。お父さんはLPレコードのコレクションが趣味で、 それをDVDにコピーする作業を続けているそうです。コレクションが13000枚もあるそうです。

この日の帰り、私を学生寮まで送ってくれたお母さんが、エスロブのFILEX社のある線路の反対側(バリア地区)を車で案内してくれました。 広大な工場群です。人々の暮らしから目隠しをされたようなエスロブ経済を支える工場群に度肝を抜きました。 私のもって行った手ぬぐいを頭に被ったお母さんのインゲルさん。

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2006年03月11日 08:50 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

ホームケア・アラームチームの出動

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3月1日(水曜日)続き

740人のカギの管理も大変なことの一つですが、すべて、番号管理になっていて、 パソコンの名簿にナンバーが書かれています。利用はすべて電話からパソコンに通じてデーター分析がされ、 その結果が在宅ケアのサービスに生かされています。この日は電話のならない日で、昨日はすごい件数が鳴ったそうです。この日、 私が付いていったほう一つのケースは重度のリュウマチの奥さまの在宅ケアをご主人がしているケース。アラーム要請はトイレ介助でした。 奥さまが車椅子からトイレの便器に移動する時に、ご主人はそばにいるだけ。奥様は危ないながらも自分で立てます。 アラームチームがいるだけで、安心があります。手伝わなくても、要請があれば出動。

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この時、玄関のチャイムがなり、お客様がありました。 Arbets Platsombuo というリュウマチを患う人々の組合の人がコーヒーを飲みに見えたのです。もちろん、 友達としての訪問です。この間、ご主人はベットメイキングをしていました。シイブさんが「奥様は自宅が好きで、自宅に住みたいから、 努力しているの」と教えてくれました。いちばん大変なのはハンディを持った方なのです。

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2006年03月11日 07:34 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

抜群のチームワーク ホームケア・アラームチーム

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3月1日(水曜日)

一歩部屋に入っただけで、私はホームケア・ アラームチームの抜群のチームワークを感じ取ることができました。ここに研修に来た星名麻衣子さんも同じ感想を持っていました。 エスロブ市の職員の人間関係は概してとてもよいといえると思います。これも麻衣子さんの言葉ですが、 サービスハウスに働くアンダーナースの間に派閥がないというのです。これは学校で教える大切なカリキュラムでもあります。 「職場の人間関係がよくなくして、いいサービスなんて提供できない」というのが、サービス業で33年間働いてきた私の持論でもありました。 人間関係に悩んで職員が辞めていく職場は、サービスを提供する職場としては不適格だと思います。

私が注目したのが上の写真。8人のメンバーの名前、カットした写真や言葉が張ったある休憩室のボードです。休日にメンバーでスパに行ったり、 フットボール・ゴルフ(スウェーデンで流行っている)をしているユーモアたっぷりの写真です。 上司であるユニットマネージャーのスタファンさんの顔も見えます。思えば、私の職場でも、昔はみんなで休日に遊びにいったものです。

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私が到着すると、休憩室に、昼食が終わったばかりの5人のメンバーがいました。 「写真を撮ってもいいですか」と聞くと、すぐに全員が集合してボーズをとってくれました。真ん中の女性が帰り(ごめんなさい。 お名前を聞き忘れました)。午後のシフトの4人が残りました。左からシイブさん、スザンナさん、アンナさん、ヘレンさん。これまで、 4ヶ月間、取材を続けながら、人見知りをしない私がなんとなくスタッフに溶け込めないと感じる職場も無くはなかったのですが、 ここの皆さんにはホスピタリティを感じました。皆さんが素晴らしさとともに、上司のスタファンさんの人柄のなせる業だなと思いました。 写真はちょっとおどけて部屋に入ってくるスタファンさん。

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装置は自宅の電話にシステムをインストールするだけ。 腕時計式かペンダント式のボタンを常時身に着けます。この日、アラームボタンが見当たらないという電話がかかってきて、出動についていくと、 棚にペンダント式のボタンが置いてありました。そんな時も笑顔で応対します。「たったこれしきのことでベルを鳴らさないで」 という応対がないから、皆さん、実に気軽にベルをならします。
ある利用者は2005年度には1600回のコールをしています。

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「いちばん大変な時はどんな時ですか」と聞くと、人工呼吸をする時という答えが返ってきました。 私も日本でヘルパー研修の時、人工呼吸について習いましたが、口を当てて息を相手に吹き込むのです。もちろん、 専門のマウスピースがありますが・・。また、訪問した先の方の死に出会うこともあります。そこで、 ホームケアアラームのチームは必ず2人がチームとなり出動します。現在、740人の利用者がいます。 65歳以上になると誰でも電話一本で加入できます。

 

 

2006年03月11日 06:01 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

冬に逆戻り ホームケアリハビリの取材

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3月1日(水曜日)

昨日のビリンゲからの帰り道、かなり冷え込んでいるなと思ったら、翌朝は雪。すでに、 たくさんの渡り鳥がエスロブに帰ってきて鳴き始めていますが、彼らも早く帰りすぎたと反省しているのでは。 こんなに雪の多い冬は南のスコーネでは25年ぶりだそうです。それでも、 足が不自由になった高齢者の方が歩行器を使い外出している元気な姿に出会いました。

今日の午前中はKARRAKRA(シャラオカ)という複合施設にホームケア・リハビリの取材です。 ホームケア・リハビリチームは昨年11月にスタートしたばかり。リハビリは脳溢血や転倒して骨折した後、退院した後に行うケースが大方です。 エスロブには、病院から帰った後にほぼ3つのケースがあります。自宅に住んでリハビリセンターに通う形式。 自宅に帰らずにショートステイをしながらリハビリをする形式。自宅でリハビリを行う形式の3つがあります。 ホームケアリハビリは昨年11月に発足しました。昨年、 私がエスロブを離れたのが10月23日。たった3ヶ月離れていただけなのに、エスロブのケアはイノベーションしていました。 昨年10月とはもう環境が変わっているのです。シャラオカも内装が綺麗になっていて、 ホームケアリハビリチームやホームケアアラームチーム専用のオフィスが作られていました。 エスロブのケアは呼吸をしながら日々生きていると実感しました。

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写真はイングリッドさん、1986年からアンダーナースとして働いています。 ホームケアリハビリのチームは4人のスタッフ。そのうちの一人がベテランのオキュペーショネルセラピスト(OP・作業療法士) のビルギッタさん。アンダーナースのイングリッドさんはOPのビルギッタさんとの連携でホームケアリハビリを行っています。 オフィスにかかっているホワイトボードにはがかかっていて、利用者の名前がイニシャルで、ETさんとか、VAさんとか書かれていました。 ホームケアの場合はプライバシーの保護も重要な仕事になります。インシュリンが必要とか、 病院から何日に帰ってくるなど一週間のメモが書かれています。

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ビルギッタさんは1980年からこの仕事を始めたベテラン。胸に名前を書いた名札をつけて出勤です。 車の雪払いから一日が始まります。今日はビルギッタさんとイングリッドさんの2人が利用者の元に出向きます。市内を出てすぐ、車窓の外に、 林やBosarpの教会が点在するスコーネの白化粧した平原が広がります。30分あまりでステハグに到着。利用者の女性はストローク (脳溢血)に会い先週、ルンドの病院から戻ってき たばかりです。 今日はリハビリ計画を本人と一緒にたてる訪問の目的です。

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利用者の女性と2人はテープルに腰かけ、「あー、そうかそうか」とか「うんうん」「そうね」など、 スウェーデン語の話せない私でも、聞き上手に話しながら、案外、しっかりしている高齢者の方の話を聞きます。途中、電話がかかりました。 エスロブのケアについて本を書きたいという日本人が同行する許可を得た息子さんがお母さんに大丈夫かと聞くためにかけた電話です。 リハビリは退院した一週間前から始めています。ビルギッタさんは彼女は前に戻れるのに、 もう何にもできなくなったと気が弱くなっているだけと診断しています。目標は「買い物に行くこと」と具体的に決まりました。

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OPが行うホームケアリハビリは、失われた日常生活動作を取り戻すためのリハビリです。 この日は肉団子を袋に小分けして入れる作業を、不自由な右手をカバーしながら練習しました。それが終わると、本人に確認して、散歩です。 雪の中を少し歩きました。彼女には何ができるのかの発見の仕事でもあります。この日、私が気づいたことがあります。 リハビリの仕事はあわただしい中で行うのではなく、じっくり腰をすえて行うものだということです。「すべて彼女のやり方でやの」 「忙しいとよくないのよ」とビルギッタさん。住み慣れた自宅に住むことをサポートするにはたくさんの援助があるのだとわかりました。

 

 

2006年03月11日 04:56 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月10日

80歳のボランティア

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2月28日(火曜日)

ブリッタ・スベンソンさんが来週の火曜日に81歳になると聞いたのは、 セカンドハンドショップでのこと。セカンドハンドショップとは、スウェーデンに41の店舗を持つNOPならびにNGOの全国組織です。 正式には「ERIKSHJALPEN」、つまり「エリックは助けています」という名前を持つ店です。衣類から家具、食器、 靴や書籍にいたるまで市民の不要になったものをただで譲り受けます。それを安い値段で販売して、その収益を本部に集め、 世界の貧困に悩む国の子供を救い続けています。エスロブのこの店は、 私がエスロブ市でお世話になっているクリスティーナさんが10年前にはじめました。 本部はクリスティーナさんの故郷のスモーランドにあります。

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1925年生まれのブリッタさんは、5歳年上のご主人が21年前に亡くなってからは一人暮らし。 一男一女、そして、6人のお孫さんがいます。ご主人は汽車の運転手でした。 上の男の子が小学校に行く頃からお店でパートタイムとして5年間働いた後、ルンドの子供病院で准看護師として働きます。結局、 65歳で年金生活をするまで働きました。ブリッタさんの話を聞いていると、1950年代のスウェーデンの、 普通の女性が仕事を得て社会に出て行く姿が浮かびます。第2次世界大戦の後、参戦しなかったスウェーデンは、 荒廃したドイツをはじめとする欧州各国の特需で経済が大きく発展していったからです。 「夫もジャガイモの皮むきぐらいは家事を手伝ってくれたわ」と語る姿に当時の人々の勢いのいい生活が伺えます。

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セカンドハンドショップがオープンするのは、毎週水曜日と土曜日。 火曜日は持ち込まれた商品にアイロンをかけたり、値札をつけて陳列する仕事にボランティアが集まります。この日、 セカンドハンドショップでは商品知識の勉強会が行われました。スコーネの北にある、スモーランドのガラスを中心に行われました。 コスタボダという言葉が聞き取れました。私が昔、銀座和光で販売していた商品です。勉強会が始まる前のお茶の時間にセーラムが出ました。 日曜日にクリスティーナさんのお宅で彼女と麻衣子さんが作ったスウェーデンのこの季節のお菓子です。キリスト教の復活祭の前の断食(四旬節) が始まる前に食べるお菓子です。

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2006年03月10日 06:14 |  投稿者: rumi   |  コメント (1)

B&B 続き

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宿泊所の部分はかなり古い農家の後です。 1階は一部が古本屋になっています。1階にダブルベットとエクストラベットの部屋が1つ。それにキッチンとシャワー室。 2階にリビングルームとベットが3つの部屋が一つあります。この日は私だけだったので、ゆったりと2階の部屋を使いました。 1泊350クローネ(5000円)。到着したばかりの私を、奥さんが教会でコンサートに誘ってくれました。そしたら、ウェルナー・ グラッツ先生にお会いしました。

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この写真が私が泊まった部屋です。朝食を奥さん が6時半に用意してくれました。しかし、20分ぐらいしか時間がなく、 そそくさと済ませて、すぐ近所にある在宅ケアのオフィスに向かいました。ここではアイスランドから来たポニーを2頭飼っていて、 夏には馬車に乗せて、近隣を散歩してくれるそうです。 

 

2006年03月10日 06:07 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

B&B ブレッド&ブレックファースト

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2月26日(日曜日)~28日(火曜日)
Billinge(ビリンゲ)の取材で私が2泊したのは、古い農家に手を入れた朝食付きの民宿。経営者はグルドラン&グンナル・ ヒルティンーカバリュスさんというジャーナリスト(奥さん)と牧師(ご主人)の夫妻です(いちばん下の写真)。 昨年にオープンしたばかりです。去年は、 田園地帯の在宅介護の日帰り取材にはクリスティーナさんが朝の5時半に学生寮に迎えに来てくれたのですが、 申し訳ないので宿泊できるところを探しました。アンダーナースの専門高校の先生がここを紹介してくださいました。 26日にはクリスティーナさんが車で送ってくれました。


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2006年03月10日 05:25 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月06日

在宅サービス手際のよさ

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2月28日(火曜日)
今日もビリンゲにあるエスロブ市の田園地帯の在宅ケアサービスを取材しています。
昨日同様、 朝5時半に起床して7時からの出動。今日はチームリーダーのイングリッドさんのケアに付き添いました。1949年生まれの彼女は私と同世代。 身体が自然にきびきび動き、手際がいい。無駄がなく、気ぜわしくない。昨日の皆さんもそうでしたが、ケアの仕事は、 よい経験を重ねることが大切だとわかりました。

25分ほど車を走らせ、最初に行ったのはストッカマランという村。彼女の義理のお母さんの家です。 92歳になるオリガさんは1949年から写真の家に住んでいます。玄関のドアーの鍵を開け、元気に「グモロン」 とオリガさんが寝ている寝室に入ります。。「今日は日本人が一緒だけどいい」と了解を得ます。ポータブルトイレの中をトイレに流し、 ベッドに寝ているオリガさんの血行が悪くて膨れた足に、循環をよくするストッキングをはかせるのが最初の仕事です。 おしゃべりをしながら10分で済ませると、窓のブラインドだけ開けて、後はお母さん自身に任せて、 今度は隣の同じような建物に住む91歳のイルマさんの家に向かいます。

イルマさんは着替えを済ませ、イングリッドさんを心待ちにしていたようです。キッチンのテーブルに座ったイルマさんとお喋りをしながら、 イングリッドさんはサンドイッチを用意、コーヒーを入れます。朝ごはんは何がいいか、常にイルマさんの好みの確認を怠りません。 イルマさんもはっきりと答えています。お喋りを続けながら、隣の寝室のベッドメイキングをします。終わるとすぐに台所に戻り、 いくつかの食器を洗います。何度も丁寧に拭くので流しのステンレスはピカピカです。

2番目も短い滞在。車を走らせ3番目に向かったのはご夫婦の家です。ここでは、 脳溢血で言語障害が残った奥さまの入浴介助。すでに赤い大きなタオルで身体を包んで、キッチンのテーブルに座って待っていました。 入浴の作業の正確さ、洗い方の丁寧さ、声かけのやさしさに感心しました。手早いのにあわただしくない。それ以上に参考になったのは、 自分でできることは、できるだけ本人にやってもらう姿勢です。立ち上がったり、座ったりするのも、 杖や手すりを使い本人の残っている能力を活用しています。お湯の温度も本人の手に当てて、これでいいかと聞いていました。

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写真は足の甲が伸びないようにする器具です。素敵なセーターに着替えて、キッチンに向かいます。 キッチンではご主人が朝食のオートメールを温めていました。作業療法士の方が週一回来て
奥さまと一緒にお料理を作るそうです。その時に座るのがこの椅子。高さの調整ができます。一緒に料理を作り、 記憶を残しておくというリハビリテーションがプロフェッショナルの手でなされます。
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居間にはたくさんの写真がかか っていて、ご主人は軍人さんであったことがわかりました。 射撃で賞を取った賞状をご主人が説明してくれました。介護における家族の役割をかいま見た気がしました。
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再び、車を走らせ、お姑さんのオリガさんの家に着いたのが8;45.オリガさんは着替えを済ませ、 キッチンのテーブルに腰掛けていました。部屋のブラインドも自分で開け、明るい光が差し込むなか、音楽がかかっています。 オリガさんの補聴器をかけ、朝食を用意、冷蔵庫の中身もチェックをします。 イングリッドさんはオリガさんの家からスープの冷めない距離に住んでいます。「夫が毎晩仕事の帰り道にオリガのところに寄るのよ」 と教えてくれました。この後、もう一軒立ち寄り、今日は私のインタビューがあるので、9:40にオフィスに戻りました。

2006年03月06日 05:44 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月05日

雪の田園地帯 夜間の在宅ケアサービス

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2月27日(月曜日)

夜間の在宅ケアサービスは16:00から22:30の時間帯。365日の稼動で、 利用者のニーズの時間帯に合わせてスケジュールが決まります。途中でオフィスに戻り、30分の休憩があります。

夜間チームはメンバーが決まっていて4人。毎日2人が働きます。また、4人の誰かが休む場合は、人を派遣する部に連絡すると、 登録されている人がすぐに出向くシステムがあります。
今日はカローラさんとモナさんの日。2人は付いたり、離れたりして、19人の夜間の利用者の家を回りました。その都度、 私はカローラさんに付いたり、モナさんに付いたりしました。付いて回ることを英語では「shadow」というそうですが、まさに、 私は影のように、ノートとカメラを抱えて回りました。
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写真はモナさん。21年間、ケアの分野で働くベテラン。夜間の仕事を選んでずっとやってきました。 印象的だったのは78歳と84歳の男性の兄弟が住んでいる家。飾りつけが素敵なのに、どうも「スメリー!」。掃除に関しては、 スウェーデンではある時期から掃除はアンダーナースの仕事ではなくなったのです。アンダーナースはケアの専門職。 掃除は別の専門チームがするのです。在宅の場合、掃除のサービスをすべての在宅利用者が申し込んでいる訳ではないので、 スメリーなケースもある。個人の家の場合、どのように家を片付け、飾り、掃除をするかはプライバシーの問題。個人の自由なのです。 この体験を通して、家事がきちんとできているかいないかは、家に入った瞬間の匂いで判断するようになった私です。 男性の一人暮らしのケースはスメリー・・。

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下の写真は去年の秋にも訪問したニルスさんの家。農家の長男で独身の彼は、 親から引き継いだ1843年に建った家に一人で住んでいます。脳溢血で半身付随ですが、この家に誇りを持ち、住み続けています (スメリーではありません!)。1922年6月30日生まれの84歳。電動車椅子に乗り、精神的に自立。 肉体的にも自分でできることはできるだけします。1日6回のサービスを利用。体重は100キロ近いので、サービスは必ず2人の介護者が必要。 カローラさんとモナさんが合流しました。この日、最後の訪問の時は、ベッドの脇のテーブルに二つの尿瓶、水、葡萄、電話が揃えられました。

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カローラさんがポットにコーヒーを入れているのは友達である91歳女性と78歳男性の夜のコーヒータイムのため。 私が写真を撮っていいか聞くと、91歳の彼女はすぐに髪をきれいに梳かしました。カローラさんには4人の子供がいます。前夫の3人の子供と、 サンボ(同棲の事実婚)の夫の子供。働いている間は夫が子供たちの面倒を見てくれるのdす。 自宅はホームケアサービスの事務所のすぐそばです。 
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夜のケア は案外就寝介助は少なく、足のマッサージ、薬やトイレのチエックなどが多く、 一見大変そうでも、自立している人が多かったです。夜間の走行距離は70キロから100キロ。終了して事務所に帰ると、 10時半を過ぎていました。

 

2006年03月05日 06:05 |  投稿者: rumi

雪の田園地帯の在宅ケアサービス

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2月27日(月曜日)

今日から2泊3日でエスロブ市の北にあるビリンゲという農村地帯に宿泊してエスロブ市の在宅ケアサービスの取材をします。 朝7時にB&B(朝食付き民宿)を出た外の風景が上の写真。在宅ケアの事務所には5人のアンダーナース(准看護師)が揃い、 簡単な打ち合わせをしていました。エスロブ市全体では、409人の利用者がいます。田園地帯と市内に分かれていて、 田園地帯は3つのグループに分かれ、利用者は136人。そのうち、ビリンゲには30人の利用者がいます。 これをいろいろな時間帯で働く19人のスタッフでケアに当たっています。 IMG_5368
春が近いなんてブログに書いたばかりなのに、今日は冬に逆戻り。車の雪を払う仕事から一日が始まります。今日、 私はモニカさんというベテランのアンダーナースに、7:00から10:00、30分の休憩を挟んで13: 30頃まで付いて回ることになっています。 最初の訪問はビリンゲの東南にあるスティハグという村に住む一人暮らしの婦人の訪問から始まります。太陽がまぶしく昇っています。

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モニカさんは必ず「レディ」という英語で利用者を呼んでいました。 最初に訪問したレディの家は去年の秋にも訪問した家。彼女は1937年から古くて小さなこの家に住み、 一度も結婚をしないままで過ごしてきました。リュウマチで両手が変形してほとんど使えません。3匹の猫を屋外で飼っていて、 えさを作るのもアンダーナースの仕事。モニカさんはポストから新聞を出し、家の鍵をあけ、 奥の部屋のベッドで寝ている彼女の名前を元気な声で呼び、「グモロン」という朝の挨拶から仕事を始めました。

今日は清拭の日。地下のシャワールームにはもう行けないので、台所で身体を拭きます。紙タオルをお湯で濡らし身体を拭いてから、 タオルでその後を乾かし、最後にクリームを塗ります。洋服を着るのは二人の共同作業。ホームケアアラームのペンダントを首にかけます。 メガネを水道で洗い拭きます。左足の傷の包帯も変えました。彼女が歩行器で、台所のテープルに移動している間に、朝食の用意をします。 パンにバターと蜂蜜を塗り、ヨーグルトをお皿に盛ると、ドリップ式のコーヒーがいい匂いを漂わせます。この間、2人の会話が途切れません。 ベッドメーキング。フリーザーから、お昼の食事(ディナーと呼んでいる一番豪華な食事)のパックを取り出し、電子レンジに入れておきます。 モニカさんは薬を引き出しから取り出し、水の入ったコップと一緒に渡します。最後に、黄色いノートを取り出して、薬が済んだサイン。これで、 一日、4回の彼女への訪問のうちの朝が終わりました。この間、30分。食料品の買い物と部屋の掃除は隣に住む、65歳の友人がしてくれます。 食器を流しに片付けるのは彼女が不自由な手を使い自分でしていました。

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この後は、93歳の元気な女性の家、80代のかなり散らかった男性の家、 リューマチを患いながらも元気な75歳の女性の家、古い農家に夫婦で住む家、と4軒を回ります。 おしゃべりを快活にして安否確認をするだけの家、頭にアミカラーを巻いてあげ、コーヒーを一緒に飲む家など、 臨機応変に利用者のニーズに合わせて滞在の形が変わります。

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この間、何度か携帯で他のアンダーナースと連絡を取ります。オフィスに戻ったのが、11時17分。 鍵を金庫に戻して、コーヒーブレイクが待っていました。IMG_5413

短い休憩を終えて、また、昼ごはんに合わせて訪問。この日、 朝からお昼にかけてのモニカさんの仕事が終わったのが午後1時30分。車の走行距離をノートに最後に記帳します。今日は54キロでした。 「車でスコーネの、地平線まで広がる畑の中を走っていると幸せな気持ちになるの」とモニカさんは語りました。」

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2006年03月05日 01:25 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月04日

早春賦

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2月26日(日曜日)

春はすぐそこ。今日の日曜日はさわやかなお天気でした。 教会のミサに出席した後、ヴィンセント君のおばあちゃんの家に寄りました。6000㎡の庭で春が息づいていました。 おはあちゃんは土の中から吹きだした新芽のそばに古い靴を置いていました。「こうすると、 野うさぎが人間のにおいをかいで芽に近づかないのよ」と教えてくれました。その言葉を聞いて、自然の近くで暮らしているのだと思いました。

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「先日の椅子が完成したのよ」とウッニさんが自分の部屋に連れて行ってくれました。 布を張っている最中の椅子がきれいに完成していました。椅子の上に置いてあるぬいぐるみはウッニさんが子供の時のもの。まだ、 とってあるのだとあらためて感心しました。64歳になり、子供時代に使っていたものを部屋に飾れるなんてお洒落。ピンクのセーターも、 白いペチコートもみんな小さい時のものです。

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2006年03月04日 07:11 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

ルーテル教会のミサ

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2月26日(日曜日)

スウェーデンに来てキリスト教のミサに預かるとは思いも及びませんでした。
ヴィンセント君の血のつながらないおじいちゃん、つまり、おばあちゃんの夫のペルさんがルーテル教会の牧師さんなのです。ヴィンセント君が 「ペンショナー(年金生活者)となったおじいちゃんが日曜日にあげるミサに
いらっしゃいませんか?たまのことなのでので、いかが?」というメールをくれたので、マルモの近くのUPPAKRA (Aは頭に○がつきます)という教会まで、お父さんのウルフさんの車でお母さんのカメラさんとヴィンセント君とで出かけました。 上は30分前に教会に入るペルさん。

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スウェーデンがカトリックからプロテスタントに改宗したのは16世紀のはじめ、グスタフ・ヴァーサ王の時代です。 1523年にはスウェーデン語の聖書が刊行されyています。
おじいちゃんのミサは、“不良カトリック”の私にも魂がやすまるミサでした。スウェーデン語がわからない私ですが、 式次第がカトリックと酷似しているのに驚きました。もともと、ルーテル教会は
カトリックに近いミサをあげますが、この日のミサはまさにカトリック。一般的なプロテスタントの礼拝とは違いました。つまり、 ヴァーサ王は政治的な理由で改宗したので、宗教的には変える必要がないのだとわかりました。ミサで感じたのはペルさんの声のすばらしさ!声、 発声が人に影響を与えることをあらためて認識しました

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隣の席で聖歌を歌うおばあちゃんのウッニさんのソプラノも絶品。 ウッニさんはルンドの音楽学校から、ストックホルムの音楽大学を卒業した本格的名オペラ歌手。結婚して21年、この間、ペルさんのミサを、 ウッニさんは美しい歌声で支えてきたのです。ペルさんは「今日は日本からお客様が来ています」と私を紹介してくださいました。 聖体拝領も受けました(キリストの最後の晩餐の儀式)。教会の中に十字架の大きなのがないのが、唯一のプロテスタントらしさでした。

もう一つ、異郷でミサを受け、あらためて気がついたのは、日本の茶道のお手前はカトリックのミサにヒントを得たに違いないということです。 千利休が、当時の日本の国際都市であった堺でミサに出席する機会があり、聖体拝領を見て、 その一部の所作を茶道に取り入れたのだと思いました。
ミサが終わると、 信者の皆さんがコーヒーを飲んでいる姿が印象的でした。ミサを通して、昔のスコーネの人々を垣間見た思いがしました。

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2006年03月04日 06:40 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

Seema

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2月25日(土曜日)

通訳をお願いしているシーマ(Seema)さんが、エスロブの隣町のLUNDルンドを案内してくれました。インドで生まれ、 ほとんどをイギリス人として過ごした彼女はルンド大学でたんぱく質の研究で博士号をとっています。病気をしたために、 今は仕事をしていませんが、毎週月曜には今も大学の研究室に顔を見せています。そんな、彼女が自分のフィールドを私に見せてくれたのです。 ルンドは日本でいえば京都のようにしっとりした古い町。地図を見ているとルンド大学の建物の壮観な連なりがあり、学園都市そのものです。

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学位の授与式があるのは上の建物。なんとも誇り高き建物です。前に凍った噴水がありますが、 授与式のある6月にはこの噴水に飛び込む人がいるそうです。さらっと、なぞるように町を歩いていると、 タコスのテイクアウトの店がありました。ボリームたっぷり、野菜たっぷりで20クローネ(280円)、2人で1つを食べました。

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彼女が自己紹介のようなつもりで中を案内してくれたのが、ルンド大学医学部。スウェーデンでは、 1992年のエーデル改革で、県が医療、市がケアと棲み分けをしたので、エスロブの人が手術を伴う病気になったときには、 この病院に入院します。ヘリコプターが着陸できる設備がビルの上にあります。装飾がいたる所にありますが、病院はやはり病院、 サービスハウスはサービスハウス。医療とケアの環境の違いがわかりました。 

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ここはシーマさんが数年前に手術を受けた大学病院です。 「ここから、コペンハーゲンが見えるのよ」と入院していた病棟を紹介してくれました。この日は曇っていて見えませんでしたが、 14歳を頭に3人のお嬢さんがいる彼女が、どんな思いで宙に浮く天守閣のような窓から遠くを眺めたのかと思いました。   今、彼女は生き生きと暮らしています。
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2006年03月04日 06:02 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月03日

ブッティルさんとマルガリータさん 初孫誕生まじか

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2月24日(金曜日)

この素敵な笑顔のご夫婦がブッティル(65歳・右)と奥さんのマルガリータさん(66歳)です。 マルガリータさんは1つ年上の姉さん女房。2人のお嬢さんがいて、下のアンさん(写真の茶の服の女性)がもうすぐ40歳で出産をします。 二人は初めておじいちゃんとおばあちゃんになるのです。

二人の出会いはマルガリータさんが18歳で、ブッティルさんが16歳の時。隣町のルンドです。 数年後に結婚した2人は、フットボールの選手だったブッティルさんのために、チームのあるエスロブに移り住みました。 とここまでは一般的な話ですね。私がお二人に興味を持ったのは、マルガリータさんが、ブッティルさんの在宅介護をしているからです。 スウェーデンの高齢者ケアの60%が「沈黙のケア」と呼ばれる家族による介護ということは案外知られていません。

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2006年03月03日 08:55 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

ブッティルさんとマルガリータさん 続き

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2月24日(金曜日) 続き

2001年2月の金曜日の午後のことです。2人の人生は、 ブッティルさんが脳卒中の発作で突然変わります。トルホゴーデンというサービスハウスの地下の電気室で彼は倒れていました。 保全という1人でやる仕事柄、発見が遅くなり、後遺症が残りました。一命を取り留めたブッティルさんは、 エスロブのシャラオカという施設で過ごすことになり、リハビリが始まります。一方、サービスハウスで働いていた准看護師(アンダーナース) のマルガリータさんと別れて暮らす辛い日々が始まりました。

その窮状を助けたのが、ONTANKEN(思いやり)というディサービス。 マルガリータさん自身も決断しました
。定年まで3年を残して仕事をやめ、 ブッティルさんを在宅自らケアすることを決めたのです。マルガリータさんが話を始めると、いつも笑顔のブッティルさんの顔が曇り、 涙が頬を流れました。マルガリータさんの目にも、お嬢さんのアンさんの目にも、思わす私の目にも涙が出てきました。 マルガリータさんはLSSという障害者の法律が2人を救ったと語りました。 65歳以下で脳に障害を持つブッティルさんは月に59時間のケアサービスが受けられます。 そのうち52時間をアンダーナースの資格を持つマルガリータさんが有給で働き、火曜日の7時間は市のケアを利用することができるからです。 そして、毎週、月曜日にデイサービスを利用しています。(しかし、ブッティルさんが65歳を超えるので、障害者ケアが年金に切り替わり、 この形での利用ができなくなります)。

マルガリータさんはケアのベテラン。下の階段を上り下りできる車椅子も操作できます。また、 トイレやベッドから車椅子への移動にはリフトが活躍。スウェーデンの男性の在宅ケアは社会資源のたまものです。2人はとてもポジティブ。 NHRという脳障害の人たちの全国組織に属していて、コペンハーゲンやドイツのクリスマスマーケットを同じ障害を持つ仲間と旅しています。

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2006年03月03日 08:46 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

2006年03月01日

エスロブの歴史

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2月24日(金曜日)

死にそうに忙しかったのが、この週です。今回の滞在の山場の、エバ・ オストンさんのインタビューが終わったのが昨日。しかし、今朝もインタビューが2つあります。 自分で決めたスケジュールだから仕方がないとしても、「たーいへん!」。今日はピープルズ・ ハイスクールと呼んでいる20歳を過ぎた人がもう一度学びなおす学校の前校長のエジ・クレボーンさんへのインタビュー。 ピープルズハイスクールは私が滞在している学生寮の学校です。

エジさんへのインタビューのタイトルはエスロブ市の歴史。今回は質問表を作らずに、 通訳のシーマさんに事前に私の聞きたいことを話しておいて、インタビューに臨みました。場所は市庁舎の会議室をクリスチーナさんが貸してくださいました。エジさんはたぶん60代後半から70代。 実はいつも必ず聞くようにしている年齢を聞き忘れました。エジさんのお話がとても楽しく、聞き忘れてしまったのです。 エジさんが開口一番に話したのが「僕はジャーマノヒという日本人を知っているよ。彼にルンドで会ったのは確か90年ごろだね。 彼は日本の高齢者ケアをもっと良くしたくて、スウェーデンに来いたんだ。そう、『世界の高齢者ケア』というようなタイトルの本を書いたんだ」 「政治家になったはずだよ」

ジャーマノヒ氏が誰かを当てるようなクイズのようですが、私は、エジさんの最初の一言で、 それは山井和則氏だとわかりました。このブログ、民主党の議員の山井氏の秘書の海野仁志氏にもお送りしています。 見てくださっているといいのですが、メールを別途お送りしなくてはいけませんね。エジさんはお元気です。ただ、奥様はお加減が悪いらしく、 それがエジさんの顔が時々暗くなる原因です。

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下はエジさんが書いた成人学校であるピープルズ・ハイスクールの歴史の本です。 エジさんのインタビューのテープはまだ手付かずにいるので、詳しくは書けませんが、 エジさんは1937年にエスロブに越してきた少年時代に垣間見た、エスロブで農業が産業化していく話をしてくださいました。 スウェーデンやデンマーク、それにスイスなどは第1次、第2次世界大戦に参戦をしなかっただけではなく、農業を産業化して、農民が力を持ち、 現在の貧富の差の少ない社会を生み出した国のひとつ。デンマークもそのモデルでしょう。農民が農業で商売をしたのです。 その典型的な例がFELIXの話。 1938年にナチから逃れてきたチェコスロバキア人のFELIXという人のピクルスのサクセスストーリーです。 スウェーデンの南にあるスコーネはヨーロッパ大陸の窓口として、多くの外国人が入ってきて、そこで、 新しい風を吹き込んだとエジさんはいうのです。

生野菜の少ないスウェーデンで、きゅうりは育てることができる数少ない野菜の一つ。これに、 女性の社会進出が加わり、話が展開します。フィリックス氏は社会進出を少しずつ始めた女性たちが自家製のピクルスを作るのではなく、 商店で同じものを買えるといいと思いついたのです。これにプラスティックの発明が加わります。今も、 DOMOSというスーパーでもこのピクルスを売っています。ちなみにDOMOSは社民党系のスーパー。 女性の社会進出に伴い作られた労働者のスーパーです。しかし、最近はどうも高いという評判です。・・ということで、 この後のトマトケチャップの工場がエスロブに作られた話も含めて、エジさんは、たくさんの話を聞かせてくださいました。

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2006年03月01日 08:15 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

エスロブ市の福祉の総責任者 エバ・オストンさん

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2月23日(木曜日) 午後3時~4時半

この日は麻衣子さんの学校を訪ねた後、学生寮に帰り、準備をしてから、今度は市庁舎に向かいました。 もちろん、歩いて。万歩計をつけているのですが、簡単に15,000歩を超え、20,000 歩を超える日もあります。今日は、 待ちに待った、福祉の総責任者であるエバ・オストンさんへのインタビューです。質問表は入念に用意して、前日の午前中に直接市庁舎に持参、 私の世話を焼いてくださるクリスティーナ・ウォーミングさんに手渡ししました。事前にエバ・オストンさんに見ていただいています。 通訳のシーマさんとタウンホールで待ち合わせ、取り次いで下さるクリスティーナさんを待ちました。

エバさんはピンク色のセーターを着て、気さくにいろいろと話をしてくださいました。

エスロブ市の人口は30.000人。コミニュンと呼ばれる市で働く職員が2000人。 その中の最大の人数を抱えるのが、エバさんの部署です(800人)。日本の国に例えれば厚生労働省のトップという方がわかりやすいでしょう。 この部署は昔はソーシャルサービスといわれていましたが、今はバード・オッケ・オムルグと呼ばれています。バードは「VARD」 でAの頭に小さな○が着きます。意味は、看護とかケアという意味。オッケはOCHでアンド。スウェーデン語を聞いていると、よく「オッケ」 と聞こえるので、最初は何でOKばかり言うのだろうと不思議に思いました。オムソルグはケアとか気遣いという意味です。 実はそれぞれのコミニュンがこの部署をそれぞれの呼称で呼んでいるそうです。

エスロブ市は2003年から組織替えをして、この呼称で呼ぶそうになったとのことです。エバ・ オストンさんはもともとがソーシャルワーカーの出身。1970年代の10年間を子供と家族のケアの分野で働きました。80年代には、 働く女性のますますの増加とともに、青少年の分野の福祉の仕事が大きく転換した時期で、ドラッグの問題などが起こり、 青少年のケアの分野で働きます。2000年からエスロブ市の現在のトップの仕事に就いたそうです。

彼女が受け持つ、エスロブ市の福祉の分野は毎年大きな変化をしています。その中でもエバ・ オストンさんが一番力を入れているのが、ケアの分野で働く人々のやりがいを作り出すこと。呼称が変わって一番変化したのは、 この分野で働く人々がこの仕事に誇りを持てるようにしたことだと語りました。

写真があまり取れませんでした。3時から1時間半のインタビューを終えて、通訳のシーマさんと少し話をして岐路に着くと、淡い紫色の夕焼けがとてもきれいで、 春が近づいているのを空の色に感じました。 

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2006年03月01日 06:37 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

麻衣子さんは学校が大好き

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2月23日(木曜日)

学生寮のもう一人の日本人である星名麻衣子さんは、昨年6月から、高齢者ケアのインターン生として、 エスロブのサービスハウスなどで実習を重ねています。明治学院大学の社会部社会福祉学科の卒業生です。ここに来る前は、 千葉県にある私立の老人ホームで働いていました。ターミナルケアなどのスウェーデンのケアを学ぶことが実習の目標。 そんな麻衣子さんは昨年秋から「外国人のためのスウェーデン語教室」に通っています。 2004年に滞在したマサヨさんに続いてここで学ぶ2人目の日本人です。一昨日、 移民の問題をエスロブ市の職業安定所のラルスさんにインタビューしたので、資料を調べているうちに、この学校について知りたくなったのです。

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最初の写真が専門高校。専門学校の奥にあるのが上の写真の、SFIと呼んでいるスウェーデンの移民、 難民、その他外国から来た人がまず最初に語学を学ぶのがこの学校です。もちろん、無料。 言葉が話せないと仕事につけないからです。3番目の日本人として、この学校で学んでいるのが、 ご主人の仕事でこちらに来ていらっしゃる杉 晶さんという女性(勝手にお名前を出してごめんなさい)。 ここでは各国から来た方が学んでいます。韓国系のアメリカ人の女性、タイの女性、ポーランドやシリアの女性などです。下はパソコン教室。 パソコンが使えないと仕事ができないので、親切に授業を設けています。 ここでは語学を学びながらスウェーデンの国や文化や社会システムを学びます。写真手前のユニさんは韓国から来た女性。サンボ (籍を入れない事実婚)のスウェーデン人の夫がいます。とても親切で、麻衣子さんが一人(サンボでもなく?)で暮らしているので、 淋しくはないかとよく家に招待をしてくれるそうです。

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下は教室や職員室がならぶところにあるホール。キッチンの場所があり、食事やお茶ができます。 ちなみに、1番最初の写真はジムナシエットという専門高校ですが、レストランのすべて(調理からサービスまで)を教える学科もあり、 ここのバン屋さんのパンがとても美味しく、しかも安いそうです。

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麻衣子さんは学校が好きで好きでしょうがないそうです。それは、いい友達がいるだけではなく、 素晴らしい先生がいるから。右は主任さんのライラさん、左はエバさんです。実はさっそくエバさんにインタビューを申し込みました。 詳しくもうすぐブログでご紹介します。ちなみにライラさんは、私の去年のブログにでてくる浩江・グンナソンさんの知り合いです。 浩江さんは40年前にエスロブコミニュンに含まれるビリンゲという村の生まれで、ジャーナリストのブーさんに嫁がれました。「世間は狭い」 という言葉がライラさんの口から出た時には、なんだか、日本にいるような気持ちになりました。廊下にも絵が飾ってあります。

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2006年03月01日 06:03 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

ヴィンセント君の小さないとこ

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2月22日(水曜日)
学生寮から急に学生さんの姿が消えたと思ったら、今週はスポーツウィークですべての学校がお休みだったのです。「国中がいっせいに! 」ではなく、南から始まり、来週は北の学校が休みになるという順番だそうです。ヴィンセント君からメールが入りました。 「おばあちゃんのウッニさんとおばさんのカタリーナさんと、昨年生まれたオットー君が来るので、遊びに来ませんか」というのです。 おばさんのカタリーナさんは36歳。ルンドに住んでいます。国立スウェーデン放送のディレクターをしていますが、今は産休中。 スウェーデンでは男の人も産休が取れますが、カタリーナさんの場合、 ご主人はパイロットでストックホルムを本拠にしている上にとても忙しく働いているので、産休を少し長く1年2ヶ月とっています。 1年間のケースが多いそうです。

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誰もがオットー君に夢中。ほんとうにかわいい。それに、神経質ではなく、子孝行の赤ちゃんです。 驚いたに、私がヴィンセント君の家に着くと、雪の残るこの日、オットー君は外で日光浴をしていました。この乳母車、実に堅牢。 オットー君は寝袋に包まれています。冬でもスウェーデンの保育園では日光浴をよくするそうです。写真はフィリッパちゃん。この日は、 家族で30分、家の周りを散歩しました。もちろん、おばあちゃんのウッニさんも一緒です。秋に散歩した時にくらべて、 住宅が増えたのに驚きました。エスロブは人口が今増えつつあります。

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料理好きのお母さんのカメラさんのこの日のメニューはアフリカ料理のクスクス。クスクスと小さなえび、 ブロッコリー、パプリカ、ねぎなどの生野菜をフレンチドレッシングでいただきました。お客様料理に向いているので、 日本に帰ったらマネをする予定です。オットー君は食事をあまり食べないのが、ママの悩みのようです。 おばあちゃんのウニさんが長女のカメラさんを産んだのは22歳の時、「36歳でママになるカタリーナさんをみて「時代が変わったわね」 とはウッニさんの感想です。

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2006年03月01日 05:48 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)

毎週火曜日、「カリダール」での年金者組合の音楽の集い

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2月22日(火曜日)
ラルス・アンダーソンさんへの職業安定所の取材が終わり、その足で通訳のシーマさんとカリダールという高齢者の集会場に足を向けました。 先週、「男の料理教室」の皆さんが作った
鹿肉のシチューをご馳走してもらうことになっているからです。美味しいシチューを楽しい会話でご馳走になった後は、 2時から大きな部屋で音楽の集まりがあります。


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毎回、違う人がリードしているこの会は年金者組合の集まりです。 今日の演奏担当はアコーディオンの2人の男性です。ざっと数えて、約50人が集まっていました。 このカリダールは昔に比べて人が自然に集まるようになったという話。気をつけているのは、一切、強要をしないこと。 楽しくていい雰囲気ならひとは自然に集まるからというのが担当のアグネッタさんと、ユニット・マネジャーのスタファンさんのモットーです。

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一番右にいる電動車椅子の方はテナー。うまくマイクを支えて、 先週の火曜日はいいのどを聞かせてくださいました。下の黒い服を着ている女性は年金者組合の方です。何度かお会いしていますが、 お名前を聞き忘れてしまいました。今回は年金者組合のインタビューができないかもしれません。 彼女がコーヒーを入れている女性は80代ですが、最近結婚したばかり、写真に写っていませんが、隣に熱々の90代の彼が座っています。 3月に入ってからインタビューを申し込みました。

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下の写真の男性は私が写真を撮っていたら、「僕、あなたのことを取材しているの」 と茶目っ気たっぷりに私の写真を撮ったので、お返しに私も彼の写真を写しました。

前回の滞在で気がつかなかったことで、今回、気がついたことがあります。スコーネの人々の顔が、 同じ北方ゲルマンのスウェーデン人の顔でも、ある種のスコンスカ(スコーネ人)の顔があるということです。東京の私から見ると、 藤山寛美の顔は典型的な大阪人の顔だと思いますが、そんな感じです。 スコーネの方言はストックホルムの人が理解できない独特の訛りがあるそうです。スコンスカと自らを呼んで、王国の旗もあり、 一つの独立国のように思っている節があります。カリダールの集会場に来たり、町を歩いていると、いかにも、という方にたくさん会います。

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2006年03月01日 05:35 |  投稿者: rumi   |  コメント (0)